処世信念 第5講「修養」
- 2024.04.24
処世信念 第5講「修養」
大倉邦彦は、NHK東京放送局JOAKで、昭和12年3月25日から30日までの6日間、朝の修養講座「処世金言」と題する講演を行いました。放送後から反響が大きく、是非出版するようにという熱心な希望があったため、放送原稿を『処世信念』というタイトルで、昭和12年4月に千倉書房から出版しています。
本音声は、その第5回目(昭和12年3月30日)のラジオ放送を録音したSP盤レコードをデジタル化したものです。
- 現在では不適切と思われる語彙・表記がありますが、放送された時代背景、また、講演者が故人であることを考慮し、音源はそのまま公開しています。
(MP3、96kbps、13.0MB、18分57秒)
修養.mp3
以下は『処世信念』に掲載されている「梗概テキスト」です。(旧字体は常用漢字に、歴史的仮名遣は現代仮名遣いに変換し、また適宜、句読点・改行等の追加を施しています)
世間を修養道場として行くにしても、先ず以て、己れの修養に志さなくては、道具付けずに道場に入るようなものである。
そこで、先ず己れの修養となれば、反省自覚から始められなければならぬ。「賢者は己れの知らざるを知り、愚者は己れを知れりと思う」という諺がある。自分見た様なものが、今更修養などとは恐らく望み難い事であるとして、欠点に蓋をして外に見せまいとする。「悪人は非を飾り、善人は之を改む。」というのも此の事である。
反省は自覚を得んが為であるが、反省だけでは撚りが戻って、なかなか自覚には入れない。故に、平素積極的修練を怠ってはならない。修練してやや準備が出来ては、世間に出て揉まれて、やっと大過なきを得るのである。
修練の方法に至っては、体験による外ないが、之に動的静的の二面ある事を説く。