佐賀中学校(現:佐賀西高等学校)を卒業した大倉邦彦は、明治36年(1903)、上海にあった東亜同文書院商務科に三期生として入学します。
入学生募集勧誘のため 来佐した院長の根津一の講話を聴き、その内容に感動したためと伝えられています。
邦彦は学院で中国語やビジネスの知識だけではなく、東洋の思想哲学にも触れ、また上海という国際都市で国際的視野を大きく広げました。
研究所沿革史資料6876。赤い矢印の和服を着ているのが、大倉邦彦です。
研究所沿革史資料6813。学院に在学していた九州出身の院生らとの集合写真で、赤い矢印が大倉邦彦です。