大倉洋紙商工天津出張所時代(20代半ば)
- 2023.06.24
東亜同文書院商務科を卒業した大倉邦彦は、明治39年(1906)8月、天津の「大倉洋紙商工天津出張所」に入社します。
大倉洋紙商工は、東京・日本橋の大倉洋紙店(現:新生神パルプ商事)が、子会社として新たに設立した貿易会社です。
邦彦は東亜同文書院で学んだ中国語やビジネスの知識を生かして働き、その働きぶりが評価されて入社2年目にして出張所長を任されました。
研究所沿革史資料12759
大倉洋紙商工天津出張所の建物全景です。
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天津出張所社員一同の集合写真と思われます。赤い矢印が大倉邦彦です。
研究所沿革史資料6850-51
明治41年(1908)、鍋島直大(東亜同文会会長)、清浦奎吾(東亜同文会副会長)、細川護成(東京同文書院長)が、上海の東亜同文書院を視察しています。三人が天津に立ち寄った際、現地にいた佐賀県と熊本県出身者が歓迎会を催しており、その時の集合写真と推定されます。
赤い矢印が大倉邦彦です。邦彦の左前に座っているのが鍋島直大、手前が細川護成、右前が清浦奎吾です。