令和5年第3回 大倉山講演会/黒澤貞次郎
令和5年「世のために田を耕す」/第3回 (通算100回)終了しました
黒澤貞次郎 -通信事業と理想の田園都市「吾等が村」の実現-
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講 師:岡 茂光(蒲田モダン研究会)
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日 時:令和5年(2023)5月20日(土) 講演14時~15時30分 (開場は13時45分)
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会 場:横浜市大倉山記念館ホール(東急東横線大倉山駅下車、徒歩7分)
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定 員:80名(入場無料、事前予約制・先着順) ※定員を超えた場合はご入場頂けません。
黒澤貞次郎(1875~1953)の成し遂げた事業は、一つは和文タイプライター開発によって社会の効率化と通信システムの迅速化に貢献したこと、もう一つは働く仲間のためにより良い環境を備えた職住接近の理想の田園都市を実現したことです。貞次郎は小学校を中退し薬問屋に丁稚奉公せねばならぬほど厳しい子供時代を過ごしました。その後、英語に興味を抱いた貞次郎は単身アメリカに渡り、キリスト教精神を身に着けるとともに、社会に普及していた英文タイプライターに着目し、和文タイプライターを開発しました。そして貞次郎は帰国後、銀座に黒澤商店の店舗を開くとともに、近郊の蒲田に工場と働く仲間のための「吾等が村」と名付けたコミュニティを建設しました。そこには社宅、食堂、浴場等に加え、自分が満足に通えなかった小学校も開校し自らが校長先生を務めています。
1953年、黒澤貞次郎は78年の生涯を閉じました。その直後、新聞には次のような記事が掲載されました。「家賃がたった4円から15円、黒澤商店蒲田工場の社宅だがうらやましい話だ。その主である黒澤貞次郎さんが亡くなった。彼のモットーは"報国"すなわち国に報いることであり、税金をできるだけ多く納めることで具体化した。いまの日本に何人といない有徳の人だった」。
黒澤貞次郎の成し遂げた事業と共に、たぐい稀なる人間性を紹介していきます。
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