第●回大倉山講演会 「昭和前期・港北の土地模様-出版物が語る記憶-」
平成17年度「港北の地名と文化」/第2回
昭和前期・港北の土地模様-出版物が語る記憶-
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講 師:久野淳一(横浜市史資料室)
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日 時:平成17年(2005)10月15日(土)
菊名駅を出ると、斜め左前の理髪店の角に美しく彩色をした「牡丹園」の、案内の立札が立つてゐた。
牡丹園は、この理髪店の横を入つて行くのだが、理髪店の裏はすぐ山であつて、道は狭い山路になつてゐる。辺りは住宅が多く、初めは山路らしく感じなかつたが、段々登つて行く程に、たんぽゝの咲く道や、雑草茂る道になり、山路らしくなつてきた。
港北区が誕生した昭和14年(1939)、この年の7月に発行された東京横浜電鉄(現東急)の社内報『清和』の「随筆欄」に掲載の一節です。執筆者は濱中六華氏、「保線」とあります。「牡丹をたづねて」と題し、北寺尾の上遠牡丹園へ向かう途次の見聞をまとめたものです。
『清和』が今日にまで伝わったことにより、濱中氏の記憶を私たちも共有することができます。今回は「都市化」と「工業化」をテーマに、こうした時代を語る出版物を読み解くことにより、みなさんと昭和前期の港北に思いを馳せてみたいと思います。