第●回大倉山講演会 「『新編武蔵風土記稿』の世界-港北区域の地名を中心に-」
平成17年度「港北の地名と文化」/第5回
『新編武蔵風土記稿』の世界-港北区域の地名を中心に-
-
講 師:松澤常男(横浜地名研究会)
-
日 時:平成18年(2006)1月21日(土)
講演の前半は、地名の変遷や由来について話をします。現在の港北区域には、江戸時代に19の村がありました。しかし、明治22年(1889)の町村制施行による大合併で、大綱・小机(城郷)・旭・日吉・新田の5か村に集約されて、旧村名は大字と呼ばれるようになります。5か村々は、昭和2年・12年・14年と、順次横浜市と合併し、大字は町へと変わります。昭和14年(1939)の第6次市域拡張の結果、港北区の一部となりますが、その合併の経緯と村名および区名の由来について述べます。
文化11年(1828)成立の江戸幕府編さんの地誌『新編武蔵風土記稿』には各村の小名が載せられています。小名は土地の名である字とは違い、集落名を指す名称と思われます。小名とは何か、また明治初期の地租改正に伴う字の合併と字名の改定によって、小名がどう変わっていったかを中心に後半の話を展開します。