第●回大倉山講演会/20世紀初頭の中国情勢と東亜同文書院-青年期の大倉邦彦-
平成18年度「大倉邦彦とその時代」/第4回
20世紀初頭の中国情勢と東亜同文書院-青年期の大倉邦彦-
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講 師:栗田尚弥(國學院大學講師)
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日 時:平成18年(2006)11月18日(土)
1900年、東亜同文書院の前身南京同文書院が開校しました。同年、清王朝が列強に宣戦布告して北清事変が勃発、中国大陸は動乱・混沌の時代に突入します。大倉邦彦が入学したのは、三年後の1903年(明治36)のことです。在学中には日露戦争が起こります。
東亜同文書院の歴史は激動の中国史とともにありました。例えば、革命派の恵州起義には書院の教授山田良政が参加して処刑され、1913年の第二革命では上海の桂墅里校舎が兵火に焼かれ灰燼に帰しました。一方、中国情勢の複雑化は、中国エキスパート養成学校である東亜同文書院の日本国内における価値を必然的に高めることにもなりました。
ドラマティックかつシヴィアな現実と中国保全という建学精神の狭間で、東亜同文書院の学生や関係者はいったい何を考えていたのでしょうか。