第04回公開講演会(愛知大学共催)/中世の鎌倉とその周辺
第04回公開講演会(愛知大学共催)
中世の鎌倉とその周辺
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講 師:山田邦明(愛知大学文学部教授)
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日 時:平成18年(2006)6月16日(金)
いまから820年あまり前、西暦1180年に、源頼朝は鎌倉に入り、武家の政権を樹立しました。こののち幕府の政庁として鎌倉が繁栄を遂げたことはよく知られています。1333年に新田義貞の軍勢に攻められて、幕府が滅亡したのちも、鎌倉は速やかに復興を果たし、新たな支配者となった足利氏のもとで、武家の都としての地位を保ちつづけました。1455年に鎌倉公方がこの地を去るまで、270年あまりにわたって、鎌倉は関東の政治的中心だったのです。
鎌倉には多くの武士たちが集住し、鶴岡八幡宮寺や建長寺・円覚寺などの寺院に住む僧侶たちや、一般の住民も多数いました。そしてこうした人々の生活を支えたのは、周辺地域からもたらされる食糧や物資でした。武士や僧侶たちの所領からは年貢が届けられ、周辺の山からは木材が伐り出されました。華々しい鎌倉の繁栄の陰にかくれて、ともすれば忘れられがちですが、現在の神奈川県の東部から中部、川崎・横浜・横須賀・藤沢・海老名・伊勢原・平塚と続く一帯も、それなりに栄えていたのです。この講演では、都市鎌倉だけでなく、これを支えた周辺地域のありようも、同時に考えてゆくことといたします。