第●回大倉山講演会/岡倉天心の文化戦略と五浦-六角堂の復興から見えてきたこと-
平成25年度「岡倉天心と異文化交流」/第1回
岡倉天心の文化戦略と五浦-六角堂の復興から見えてきたこと-
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講 師:小泉晋弥(茨城大学教授)
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日 時:平成25年(2013)3月16日(土)午後2時~午後3時30分
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会 場:横浜市大倉山記念館ホール
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定 員:80名(入場無料、予約なし当日先着順)
日本美術院が茨城県五浦(いづら)に移転したとき、世間からは「都落ち」と称されました。しかし実際には天心の周到な戦略があったと思われます。天心は、10ヶ月にわたるインド滞在中に『東洋の理想』を脱稿、帰国後五浦に住まいを定めます。そしてボストン美術館に職を求め、横山大観と菱田春草らを伴って渡米し、そこで国際的ベストセラーとなる『茶の本』を執筆し六角堂の建設の構想を練ります。天心が、国際的に飛躍した晩年の10年間と五浦居住時代は見事に重なるのです。
天心は、なぜ五浦という地を選び、六角堂を建設したのでしょうか。そこからは、単に日本美術院と日本画の復興という意義を超えた、天心の文化戦略が見えてきます。六角堂--インド--中国--ボストン美術館というネットワークから見えてくる、天心が見据えた20世紀の近代化と「アジア」の位置について探ります。