第●回大倉山講演会/文明開化を生きた歌人-大熊弁玉-
平成26年「文芸作品に表れた近代化」/第4回
文明開化を生きた歌人-大熊弁玉-
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講 師:増田恒男(大倉精神文化研究所客員研究員)
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日 時:平成26年(2014)6月21日(土)
大熊弁玉は、文政元(1818)年江戸に生まれ、増上寺で修業ののち、嘉永3(1850)年神奈川宿の三宝寺住職となりました。明治13(1880)年63歳で亡くなるまで神奈川の地から変貌する横浜を見続けていました。
弁玉は、得意とする短歌・長歌で、異人館、人力車夫、蒸汽車など開港から文明開化にかけての新事物や世相などを題材に、多くの作品を残しました。
作品の基調には、庶民への同情、弱者への哀歓などが一貫して流れており、新体詩の先駆けともいわれました。また、当時の横浜の姿を伝える記録文学といっても過言ではありません。弁玉は、門人の育成、歌会の開催などの文芸活動をとおして文芸サロンを形成し、横浜の文化興隆に大きく貢献しています。
現在、弁玉について、作品を含めて紹介された事柄はごく僅かです。弁玉の生涯、事績をとおして新たな弁玉像と横浜の近代化を見つめ直せればと思います。