第119回 港北区の基礎知識 -その2、区域の地図-
- 2008.11.01
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
前回の続きです。地域の様子を知るためのもう一つ大切な資料が地図です。これまでにも、「鶴見川洪水避難地図」(第66回)や「港北区防災マップ」(第81回)、「港北歴史地名ガイドマップ」(第87回)などを紹介したことがありますが、この他にも、港北区社会福祉協議会発行の「港北区のママ達が作った子育て応援マップ ココマップ」とか、「港北区神社めぐり」のイラストマップなど目的別の地図が各種あります。今年9月には生涯学級「地域デビュー」のMAPプロジェクトチームが編集した「マイ歩ー夢タウン港北」という地図が発行されました。地域に初めて一歩踏み出すための情報を、持ち歩きに便利なように工夫して凝縮した楽しいマップです。
しかし、なんといっても地域が分かる基本の地図は、「港北区民生活マップ」でしょう。公共施設やバス路線など日常生活に役立つ情報と共に、名所・旧跡などの情報も詳しく掲載されており、区役所総合庁舎一階の総合案内窓口で配布されています。市の図書館で古い「港北区民生活マップ」を調べてみると、平成6年(1994年)頃から発行されていました。区役所に問い合わせると、定期刊行物ではなく、地図に大きな修正が必要になった時などに不定期に改訂されるとのことですが、区内では順次住居表示が実施されているので(第108回参照)、ほぼ毎年のように改訂されています。今年はグリーンラインも開通しましたので、近々改訂版が作られるはずです。なお、住居表示が実施された地域については、各戸の新旧住所が併記された「住居表示新旧対照案内図」が作られています。
さて、「港北区民生活マップ」の裏面は、平成9~17年は全面が「医療施設マップ」でしたが、昨年からは区の概要や区役所の業務案内、震災時の心得、医療機関のご案内などの役立つ文字情報が記されるようになりました。
この「港北区民生活マップ」以前に区役所が発行していたのは、「港北区案内図」でした。平成2年(1990年)4月、平成2年10月(第4版)が図書館に所蔵されています。さらに古くは、「港北区全図」と名付けられていました。昭和60年(1985年)発行のものはカラー版ですが、昭和55年(1980年)発行のものは白地図に近いもので、共に裏面は白紙です。図書館には昭和55年以前に港北区役所が発行した地図は所蔵されていませんが、郷土史家の相澤雅雄さんが、昭和31年(1956年)12月調製の「港北区全図」をお持ちですから、長い間この名前で発行されていたようです。
書店で販売されている有料の地図も各種ありますが、横浜市中央図書館所蔵の古いものでは、昭和34年(1959年)経済地図社発行の『港北区明細地図』が興味深いです。主に縮尺3,000分の1の地図を基に各家の居住者や会社名などを書き込んだ、いわゆる住宅地図です。50年ほど前のものですから、例えば、大倉山記念館の辺りを見ると、記念館の東側には第72回で紹介した武道場「神風館」の建物が描かれていますが、建物には「研究所附属大倉生活文化学園谷桃子先生指導バレー教室」と書かれています。大倉生活文化学園とは、大倉精神文化研究所が昭和31年度から34年度にかけて開講していたカルチャースクールです。谷桃子は日本を代表するバレリーナで、後に日本バレエ協会の会長にまでなった方です。戦前の武道場が、戦後はバレー教室に使われていたのです。驚きました。菊名駅(第117回参照)を見ると、今は無き貨物車ホームがあり、駅の近くには成田山(第99~102回参照)も描かれています。新羽橋付近の鶴見川改修の状況も分かります(第108回参照)。
その他には、横浜市が昭和3~28年(1928~53年)に作製した3,000分の1地形図76枚が横浜開港資料館に所蔵されていて、その内60枚はインターネットから閲覧することも出来ます。港北区域は14枚に分かれています。昭和30年代の3,000分の1地形図は横浜市史資料室にあります。これら古い地図と最近の区民生活マップを比べてみると、港北区域の急激な都市化が実感できます。
記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)
(2008年11月号)