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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第125回 カイはケエ? -アカケエの職人技-

2009.05.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北2』(『わがまち港北』出版グループ、2014年4月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


港北区制70周年、横浜開港150周年の記念日を区民みんなで盛り上げようと、昨年6月~8月に区役所からアニバーサリー提案の募集がありました。アニバーサリー(anniversary)とは、記念日という意味です。33件の応募があり、15件が採用されました。その中の1つに、「川下り」と「流しソウメン」を楽しもう、という事業があります。提案者は、鶴見川 舟 運復活プロジェクトです。遠藤包嗣港北区長(当時)は、『タウンニュース』港北区版1月8日号しゅううん かねつぐのインタビューで、「鶴見川の川くだりには驚きました。昔、この地域は鶴見川の氾濫をたびたび経験しており、はんらん一方で河川を使った舟での様々な物資の運行という恩恵も受けた。地域の特色が出ているなぁと感心した提案でした(笑)」と話されています。

横浜開港資料館の展示会図録『図説鶴見川 幕末から昭和初期まで』によると、昭和初期に「鶴見川を航行する船舶(漁船を除く)は1年間でのべ約21,600隻にも及んでいた」といいます。ところが、その後の自動車や鉄道輸送せきの発達によって 舟 運は途絶えてしまいました。かつて鶴見川を航行したと伝えられている船は、綱島東の池谷家しゅううん いけのやの御用船がわずかに1艘現存するのみです。鶴見川を航行した船ではありませんが、川が氾濫したときに避難するそうために用意されていた水害予備船は、綱島台の飯田家所蔵のものが1艘と、樽町の横溝家旧蔵で現在はプロジェクト所蔵のものが1艘確認されています。船の詳細については改めて記すこととして、 舟 運プロジェクトの調査に同しゅううん行して、船の付属品「アカカエ(アカカイ)」に興味を引かれました。木製で、チリトリかスコップのような形をしています。

木造船は水に浮かべると板の隙間から浸水することがあります。波飛沫が入って水が溜まることもあります。こなみ し ぶきのようにして船底に溜まった水を「あか(淦)」といいます。アカを汲み出す(掻い出す)ことや、その道具を「アカかカエ(淦替)」「アカクミ(淦汲)」「アカトリ(淦取)」などといいます。

このアカカエは、川崎市あたりの方言で「アカケエ」と呼ばれていました。

港北区域でも、「カイドウ(街道)」を「ケエド」、牛馬の飼料である「カイバ(飼い葉)」を「ケエバ」、池や用水の水を抜いて掃除する「カイボリ(掻い堀、カエボリ)」を「ケエボリ」、「ムカイ(向かい)」を「ムケエ」などといいましたから、川崎と同様に「アカケエ」と呼んでいたものと思われます。

発見されたアカカエは3つ、これを、大工の武田信治さん(第97回参照)に復元していただきました。アカカエは、のぶはる漁港周辺では雑貨屋にでも売っているような、いわば安価な消耗品ですが、復元の過程で、 匠 の技を使って作ったくみてあることが分かりました。たとえば、板の反りを防ぐために片面に溝を掘って桟を差し込む「吸い付き」というさん技法が使ってあったり、2枚の板をつなげば簡単に作れるところを、手間暇かけて1枚の板を斜めに折り曲げていたりしています。同じ職人が作ったもののようですが、形や作り方が微妙に異なり、使いやすさを追求した職人の心意気が伝わります。

さて、区制70周年・開港150周年記念事業として、菊名地区センターでは「地域のお宝~ 匠 に聴く~」と題して、たくみ5月から11月まで、5人の職人さんからお話を伺います。伝統技術・文化を継承し、先人たちの技に創意工夫を加えて活躍している 匠 のみなさんです。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)

(2009年5月号)

  • 【付記】 70年前に出来た港北区は、港北・緑・都筑・青葉の4区に分かれました。港北図書館では、横浜市編入70年の歴史を見て学べる「4区のチェンジ=大変貌展」を5月13日まで開催しています。
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