第151回 一枚の写真から -夏だ!プールだ!?-
- 2011.07.01
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北2』(『わがまち港北』出版グループ、2014年4月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
福島第一原子力発電所事故の影響で、節電が叫ばれており、今年は例年以上に暑い夏になりそうです。クーラーで涼(すず)むよりも、夏はやはり水遊びでしょう。筆者が小学生の時、水にまつわる体験を2つしました。1つは、川で溺れかけて、人間の体は水に浮くように出来ているのだと実感したこと。もう1つは、夏休み中毎日プールに通い続け、真っ黒に日焼けしてガリガリにやせたこと。夏になると懐かしく思い出します。
さて、水泳大好きの筆者には、お気に入りの写真が1枚あります。鶴見川の中で、大勢の子供たちが水泳訓練をしている写真です。『港北百話』『わが町の昔と今 1 港北区編』『鶴見川流域誌』その他各種学校誌などに掲載されている有名な写真です。写真を撮影したのは綱島東の池谷陸朗(いけのやりくろう)氏です。ご子息の池谷光朗(みつろう)さんから話を伺いました。陸朗氏は、大正11年(1922年)頃に勤務先の社長よりアメリカ製のカメラを譲り受けて、綱島周辺の写真を撮り始めました。水泳の写真を撮影したのは大正末期。木造だった旧大綱橋(おおつなばし)の上から、下流で泳いでいる子供たちを写したものです。泳いでいるのは、大綱(おおつな)小学校の5、6年生。実は関連の写真がもう2枚、樽町(たるまち)側の雑木林の中で子供たちが休憩(きゅうけい)している写真と、全員で準備体操をしている写真があることも教えていただきました。大正14年(1925年)生まれの光朗さんは、夏になると毎日のように鶴見川で泳いでいたそうですが、大綱小学校から水泳訓練に行ったことはないので、その前にはもう鶴見川での水泳訓練は中止されていたようです。
今ではどの小学校にもプールがありますが、かつての水泳学習は大変でした。港北区は海から遠いので、教員や父母たちは、共同でも良いからプールを造って欲しいと市へ陳情したこともあったそうです。区内の小学校で、最初にプールが造られたのは、新田(にった)小学校で、昭和24年(1949年)のことでした。子供たちにとっては他校に自慢の出来るものの1つでした。その後、菊名小学校が昭和28年(1953年)、港北小学校が昭和35年(1960年)と続きます。しかし、古くからある学校から先にプールが造られた訳ではありません。敷地が狭くてプール建設が遅れた学校もありました。大曽根小学校は、大綱小学校の分校だった昭和40年(1965年)に本校よりも先にプールが造られています。大綱小学校は、綱島街道沿いから現在地に移転した後の昭和44年(1969年)にやっとプールが完成しました。
日吉台小学校(1976年)や、現在地に移転した新田小学校(1980年)、小机小学校(1983年)などのように、校舎の屋上にプールを造った学校もあります。
多くの学校にプールが完備されるのは、昭和40年代から50年代にかけてのことです。それ以前はどうしていたのでしょうか。プールのない学校では、近隣の学校へプールを借りに行っていました。たとえば、大綱小は菊名小や大綱中へ。篠原西(しのはらにし)小は篠原小へ。城郷(しろさと)小は城郷中、篠原西小、篠原小へ。新吉田(しんよしだ)第二小は新吉田小へ。高田東(たかたひがし)小は高田小、駒林(こまばやし)小、下田(しもだ)小、日吉南小へ。新田中は日吉台中へ。師岡(もろおか)小は大曽根小へプールを借りに行っていました。炎天下を片道30分以上も歩いて行き、帰りにはクタクタになってしまったという経験をお持ちの方も多いことでしょう。
放課後や夏休み、昔の子供たちは川や池で泳いでいました。かつての港北区域は農村地帯でしたから、用水路や排水路があちこちにあり、泳いだり魚を捕ったり、子供たちの最高の遊び場になっていました。灌漑用溜池(かんがいようためいけ)も各地にありましたが、池は水深が深いのと水が冷たいことから、親たちは池では泳がないように子供たちに厳しく言い聞かせました。篠原東(しのはらひがし)の押尾寅松(おしおとらまつ)さんが、菊名池で泳ぐとカッパに「しりこだま」を抜かれるとお祖母(ばあ)ちゃんから言われたのはその一例です(研究所のホームページに「押尾寅松さんの昔話」として公開中)。しかし、禁止されるほどやりたくなるのが子供です。大豆戸町(まめどちょう)在住だった西川喜代子さんは内緒で菊名池に泳ぎに行ったことを教えてくださいました。
港北区内には上記以外にも、綱島公園、菊名池公園、篠原園地、横浜ラポール、日産スタジアムの日産ウォーターパーク・横浜市スポーツ医科学センターなどにプールがあります。また、新田緑道(にったりょくどう)のせせらぎ広場では水遊びが出来ます。暑い夏を元気に乗り切りましょう。
記:平井 誠二(大倉精神文化研究所研究部長)
(2011年7月号)