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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第163回 下田の自然と幻の新幹線計画

2012.07.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北2』(『わがまち港北』出版グループ、2014年4月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


下田町(しもだちょう)の田邊泰孝(たなべやすたか)さんが、自伝『陰徳(いんとく)積めば陽報(ようほう)あり』(非売品、港北図書館にあります)を出版されたとの情報を、同じ町内の金子郁夫(かねこいくお)さんから教えていただきました。田邊泰孝さんは、真福寺(しんぷくじ)の檀家(だんか)総代、下田神社の氏子(うじこ)総代、横浜市港北消防団長なども務められた方で、副題に「地域と共に歩む」とある通り、地域の歴史もたくさん語られた興味深い本です。そこで、金子さんにご案内いただき、田邊さんからお話を伺いました。

かつての下田町は、大自然の中にありました。昭和25年(1950年)頃の家数は35軒で、大半が農家でした。大正10年(1921年)生まれの田邊さんは、駒林(こまばやし)尋常小学校(現、日吉台小学校)に通い、メンコや独楽(こま)回し、たこ揚げをして、魚や蛙を捕まえたり、ホタルを追う少年時代を過ごしました。聞き取りに同席された田邊光彰(みつあき)さん(彫刻家として有名)によると、下田でホタルが見られたのは昭和30年(1955年)頃までだったそうです。

下田に本格的な開発の波が押し寄せるのは、日本住宅公団の日吉団地663戸(下田町4丁目辺り、現サンヴァリエ日吉)が昭和32年(1957年)に完成した頃からです。一挙に町の人口が20倍近くになったのです。それからは、田畑が次々に住宅地へと変わっていきました。下田町は、南側と北側が尾根になっており、中央部の低地を「松の川」が流れていました。その松の川も汚れて、埋め立てられました。開発が進み、今年5月末現在の下田町の人口は、5,916戸、13,258人となっています。農地や森林の多くは宅地となり、わずかに残る下田神社から真福寺に至る緑地が貴重になっています。田邊さんのお宅もその一角にあります。お話を伺った帰りに、よく手入れをされた竹林でタケノコを掘らせていただきました。

さて、田邊さんの本の中に、幻の新幹線ルートの話(第131回参照)を見つけました。下田町の開発が始まった昭和30年代のことです。

東海道新幹線の線路は、東京から多摩川を渡って武蔵小杉のあたりでS字を描いて新横浜へ向かっていますが、当初の計画は、多摩川から直進して、下田町の下田神社(当時は熊野神社)の辺りを抜けて、日吉本町の日吉南団地のあたりで東へカーブして、日吉駅と綱島駅の中間あたりで東横線を跨(また)ぎ、そこから南西にカーブして大倉山駅のあたりでもう一度東横線と交差するルートでした。港北農協で開かれた説明会に出席した田邊さん達は、その設計図を見せられました。下田町や日吉本町の人たちは、町を二分する計画に大反対でした。昭和35年(1960年)3月29日のことと思われますが、参議院運輸委員会でこのルートに関する質疑があるというので、下田町と日吉本町の自治会有志と傍聴に行った話まで詳しく記されています。東横線と交差する大倉山駅に新幹線の新駅(新横浜駅)を造る話もあったようです。詳しくは、港北図書館で本をお読みください。一時は、転居先まで探した田邊さんですが、ルートが現行のように決まり、下田町は二分されずに済み、下田神社周辺の緑も残りました。

田邊さんからは、まだまだ多くのお話を伺いました。いずれ回を改めてご紹介いたしましょう。

さて、この東海道新幹線建設計画ですが、その淵源は昭和14年(1939年)に始まった通称「弾丸列車計画」にあります。これは、東京・下関(しものせき)間に新ルートで高速の新幹線を建設するというものです。全18駅で、起点となる東京駅(場所は未定)の次が、新横浜駅です。『鉄道技術発達史Ⅰ』によると、「横浜線菊名駅付近を選定することにした。築堤式(ちくていしき)高架駅とし現在線及び東京急行との連携(れんけい)を図り、昭和15年11月計画稟申(りんしん)があったが新東京駅との関連があるので保留となった」と記されています。世が世なら、横浜線菊名駅の上に新幹線の新横浜駅が造られていたかも知れないのです。

弾丸列車はさらに気宇壮大(きうそうだい)で、対馬海峡(つしまかいきょう)に海底トンネルを掘り、朝鮮半島から北京(ペキン)へ、さらには中央アジアを横断してヨーロッパへと続く大計画も構想されました。国内部分の計画はかなり具体化されており、用地買収も進んでいたといいます。港北区内で戦前に用地買収されていた土地はあったのでしょうか。ご存じの方がおられたら是非教えてください。戦争で中断したこの弾丸列車計画を、戦後に復活させたのが東海道新幹線です。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所研究部長)

(2012年7月号)

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