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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第166回 舞台は大倉山記念館 -その2-

2012.10.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北2』(『わがまち港北』出版グループ、2014年4月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


「梅ちゃん先生」と「負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~」、共通点は何でしょうか。共にNHKのドラマですが、もう一つ共通していることがあります。共に大倉山記念館で撮影が行われたということです。あっ、もう一つ、渡辺謙・南果歩(みなみかほ)夫妻の出演も...。

第45回にも書きましたが、大倉山記念館では、テレビ・映画・雑誌などの撮影がよく行われています。なぜでしょうか。公共施設なので利用料金が安い、山の上でなおかつ周りを木立に囲まれていて余計な写り込みが少ない、東京から近い、などなど撮影に有利な条件が揃っているようです。これまでの撮影については、「大倉山記念館とドラマロケ」と題して、神奈川新聞社の雑誌『横濱(よこはま)』VOL.32に書きましたので御覧ください。

その時は知らなくて、書けなかった追加情報を1つ。昭和59年(1984年)に大倉山記念館としてオープンしてからは、数多くの撮影が行われてきましたが、研究所の本館時代に撮影されたことは無いと思っていました。最近になり、唯一見つけたのが映画「エスパイ」です。この映画では、研究所本館(大倉山記念館)が、若山富三郎の演じる、世界征服を企む悪の組織の首領が住む本拠地という設定になっています。映像からは、傷んだ建物や前庭の荒廃的な雰囲気が伝わってきます。当時、近所の子供たちから「化け物屋敷」と呼ばれていた研究所本館にふさわしい設定です(苦笑)。研究所の処務日誌を見ると、昭和49年(1974年)11月14日の午後1時から5時の間、東宝映像株式会社(現、株式会社東宝映像美術)が撮影を行ったことが記されています。

「エスパイ」は、藤岡弘、由美かおる、草刈正雄、加山雄三ら豪華俳優陣が出演し、海外ロケまでした大作で、昭和49年(1974年)12月に公開されますが、なんと同時上映が山口百恵の初主演映画「伊豆の踊子」でした。私たちの記憶に残っているのは圧倒的に「伊豆の踊子」ですが、当時はどちらがメインだったのでしょうか。

さて、大倉山記念館は、今年6月から11月末まで屋根の葺き替えと外壁の補修工事をしていますので、この間撮影は出来ませんが、以前に撮影されたドラマが立て続けに放送されました。

1つが、9月末まで放送されていたNHKの連続テレビ小説「梅ちゃん先生」です。撮影は、6月2日の夕方から深夜まで行われ、8月3日(金)に放送されました。信(のぶ)君(くん)が梅ちゃんにプロポーズする重要な場面で、大倉山記念館西側の入り口前が北品川の警察署の設定で使われていました。ちなみに、街灯は小道具ですが、梅ちゃんの座っていたベンチは本物です。デートやプロポーズに使ってみませんか。

同じくNHKの、土曜ドラマスペシャル「負けて、勝つ ~戦後を創った男・吉田茂~」は、4月4日の撮影でした。俳優の渡辺謙が吉田茂に扮していました。渡辺謙も撮影スタッフも知らないと思いますが、本物の吉田茂が大倉山に来たことがあります。吉田茂は、昭和36年(1961年)9月、大倉精神文化研究所を参観することを大倉邦彦と約束していました。ところが、大磯の自宅の改修が遅れたために、直前になり、訪問を10月に延期して欲しい旨の自筆の手紙を出しています。その手紙が研究所に残っています。そして、10月14日に研究所に来ました。

吉田茂がなぜ大倉山に来たのか、じつはよく分かりません。しかし、2つの説が考えられます。

(1)昭和34、5年頃、大倉邦彦は、東亜同文書院(とうあどうぶんしょいん)卒業生が組織した母校再建委員会の、委員長をしていました。委員会は、終戦と共に廃校となった母校を、国内に再建しようと考え、活発な活動をしていました。その中には、大倉山を大学予定地にするという案もありました。大倉邦彦は大反対でしたが。委員会では、時の政治家に依頼して、学校法人認可の口利きをしてもらおうともしました。その政治家の一人に吉田茂の名が上がっていました。しかし、それなら、大倉邦彦が吉田茂に会いに行くのが筋ですし、委員会は昭和35年(1960年)春に解散していますので、これでは無いでしょう。

(2)総理大臣を退任した吉田茂は、昭和34年から伊勢の皇學館(こうがくかん)後援会の会長を務めていました。その吉田茂を総長として、皇學館大学が昭和37年に、私立の新制大学として開校します。この時、大倉邦彦は皇學館大学の顧問に就任していますので、皇學館大学開校に関する話をするために、吉田が大倉山を訪れたのかも知れません。

さて、研究所の日誌によると、吉田茂は2時間半ほど滞在し、館内を見学し大倉邦彦と話をしたようです。その建物で吉田茂のドラマを撮影することになるとは、偶然ですが、不思議な縁です。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所研究部長)

(2012年10月号)

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