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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第170回 舞台は大倉山記念館 ―その3―

2013.02.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北2』(『わがまち港北』出版グループ、2014年4月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


大倉山記念館は昨年6月から11月まで屋根と外壁の改修工事を行っていましたが、工事終了直後の昨年11月29日、リニューアル記念ともいえるタイミングで大規模なドラマロケが行われました。元日の夜9時から放送された「相棒11 元日スペシャル」のロケです。大倉山記念館は、事件の鍵となる重要な資料の収蔵先である「山岸昭和文化記念館」という設定で登場しました。放送では、ギャラリー入口付近で職員が襲われ、1階へ降りる階段を落ちて亡くなるシーンや、事務室として使用された第4集会室で、杉下右京(すぎしたうきょう・水谷豊[みずたにゆたか])と甲斐亨(かいとおる・成宮寛貴[なりみやひろき])が、資料から事件の手がかりを読み解く場面などが出ていました。他にも正面入口や、資料展示室に変身したロビー、また、建物の西側通用口付近は「養護施設なずな会」の建物としても登場していました。

さて、実はその「相棒」の撮影と同じ日、別の番組の撮影も行われていました。横浜・川崎のケーブルテレビ、YOUテレビによる「横浜ミストリー」の撮影です。横浜の文化や歴史(ヒストリー)に潜(ひそ)んだ謎(ミステリー)を 解き明かしていくこの番組、1月の放送では「白亜の殿堂 大倉山記念館~建物に秘められた大倉スピリッツ~」をテーマに、大倉精神文化研究所80年の歴史、創立者大倉邦彦の生い立ちや研究所にかけた情熱、大倉山記念館の建物に秘められた謎に迫りました。残念ながら1月末で放送は終了しましたが、番組は視聴者の投票を元にしたリクエスト放送がされていますので、いずれまた放送の機会があるかも知れません。

最新の撮影情報の後には、記念館が研究所本館だった頃の撮影情報を1つ。第166回で、1974年12月公開の映画「エスパイ」の撮影について書いていますが、インターネットの情報から、研究所本館時代に他にも撮影があったことがわかりました。1980年4月から1981年3月までTBS系列で放送された「ウルトラマン80(エイティ)」の撮影です。研究所の日誌を見ると、1980年10月3日に「円谷(つぶらや)プロダクション TV映画「ウルトラマン」広場でロケーション」の記述があり、翌日にも「前日と同様ロケーション」とありました。この時撮影したものが、第31話「怪獣の種飛んだ」のタイトルで同月29日に放送されています。この回では、マリコという少女が、病気で入院中の母親に見せるために、空き家の庭で花を育てていたところ、綿毛(わたげ)のついた奇妙(きみょう)な種が飛んできたことから話が展開します。その空き家の庭こそ、現在の記念館の前庭です。最近は、建物の独特な様式を生かしての撮影がほとんどですが、このウルトラマン80では、建物自体はあまり写っておらず、なぜここでロケをしたのか疑問を感じざるを得ません(苦笑)。けれども、筆者が毎日出入りする建物東側の研究所入口前で、は長谷川初範(はせがわはつのり)演じる矢的猛(やまとたけし)がウルトラマン80に変身したのには、思わず吹き出しました。なお、映像には、草の生い茂った前庭、大倉山公園に抜ける坂道、その道に面した研究所の門扉(もんぴ)、建物東側の荒廃(こうはい)した姿なども少し写っており、この周辺の当時の様子を知ることができる貴重な資料といえそうです。特に撮影が行われたのは、研究所が横浜市へ土地を売却し、建物を市へ寄贈する僅(わず)か5ヶ月前のことですから、研究所本館時代の最後の姿が写ったものといっていいでしょう。

大倉山記念館でのヒーローもののロケは、現在でもよくあります。テレビ番組では、2001年から2002年に放送された「仮面ライダーアギト」、2005年から2006年放送の「ウルトラマンマックス」。また映画では、2008年9月公開の「大決戦!超ウルトラ8兄弟」は、横浜開港150周年とのタイアップで、横浜を舞台にさまざまな名所でロケが行われましたが、大倉山記念館でも撮影が行われています。2009年12月公開の「仮面ライダー×仮面ライダーダブルW&ディケイド MOVIE大戦2010」では、建物内外で撮影が行われ、前庭では怪人のドーパントたちと仮面ライダーWとの戦闘シーンもあります。ちなみに筆者がこの撮影の合間に目撃したベンチで休む怪人の姿は、少し衝撃的でした。そして港北区でヒーローといえば、菊名を拠点に活躍している「横浜見聞伝(よこはまけんぶんでん)スター☆ジャン」、彼らにも早く撮影に来て欲しいところです。

撮影情報は、基本的に番組放送前にお知らせすることが出来ませんが、大倉山記念館のツイッター(http://twitter.com/okurayama_hall)では放送後、撮影秘話や記念館に気づいた視聴者の声を伝えています。是非ご覧下さい。

インターネットの普及で、テレビや映画のロケ情報は入手しやすくなり、昔の作品もDVD化や動画サイトによって容易に見られるようになりました。港北区内で撮影された古い作品は、綱島台の飯田家住宅で撮影された「美貌(びぼう)に罪あり」(1959年)、妙蓮寺周辺で撮影が行われた「離愁(りしゅう)」(1960年)、石原裕次郎主演で慶應義塾大学の日吉キャンパスで撮影が行われた「あいつと私」(1961年)などがあります。しかし、古い作品の情報はまだまだ少ないのが実状です。大倉山記念館に限らず、区内で撮影が行われたテレビ番組や映画に関する情報がありましたら、お知らせ下さい。「舞台は港北区」としていずれご紹介したいと思います。

記:林 宏美(大倉精神文化研究所職員)

(2013年2月号)

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