第179回 「大倉山さんぽみち」を歩いてみよう!―その5・大倉山駅~みそね公園―
- 2013.11.01
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北2』(『わがまち港北』出版グループ、2014年4月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
「大倉山さんぽみち」も、とうとう最後のルートになりました。今回は「大倉山駅~みそね公園」ルートを歩いていきます。総合案内板では、見どころとして「①師岡(もろおか)熊野神社②いの池③熊野郷土博物館④熊野神社市民の森⑤杉山神社⑥獅子ヶ谷(ししがや)市民の森」の6ヵ所が挙げられています。
今回は大倉山駅からスタートです。レモンロードを通って綱島街道に出て、師岡熊野神社、いの池、みその公園、獅子ヶ谷市民の森、熊野神社市民の森、樽町の杉山神社の順に回り、再び綱島街道へ。そこから区役所方面に進み、最初の信号を右折して、大倉山駅に戻ってきます。道が複雑で、文章だけではわかりづらい部分がありますので、その際は「大倉山さんぽみち探検手帳」(横浜市中央図書館蔵)の地図をご覧下さい。また、今までは舗装された道を歩いてきましたが、今回は土や落ち葉に覆われた山道も歩きます。散策の際は、体調も服装も万全にしてのぞ臨みましょう。
さて、大倉山駅を出発したら、綱島街道に出て「熊野神社入口」の交差点まで歩きます。右手にある社号が刻まれた石碑を目印に右折すると、区の障害者地域活動ホーム「ともだちの丘」があり、建物沿いの塀に道標を発見。電柱の影になっているのが少し残念です。
先へ進むと、師岡熊野神社の参道の石段が見えてきました。師岡熊野神社は、神亀(じんき)元年(724年)の創立といわれ、1300年近い歴史を持つ神社で、天暦(てんりゃく)3年(949年)から続く筒粥神事(つつがゆしんじ)(シリーズわがまち港北「第1回 師岡熊野神社の筒粥」参照、バックナンバーは大倉精神文化研究所ホームページをご覧下さい)は、平成6年(1994年)に市の無形民俗文化財に指定されています。近年ではサッカー神社としても知られています(第158回)。神社付設の熊野郷土博物館では、神社裏山の師岡貝塚の出土品や、神事に関わる資料などを展示しています(見学は要予約)。
石段から道を挟んだ向かいには、平仮名の「い」の形をしたいの池があります。池は、雨乞(あまごい)神事(第13回)や片眼の鯉(こい)の伝説(第121回)でも知られており、中央には弁天様が祀られています。池の近くの公衆電話横には説明板もありました。
そこから、師岡小学校方面に進んで行くと、師岡沼上(ぬまかみ)耕地公園の手前に説明板があり、そこを右に曲がると環状2号線に出ました。正面の横断歩道では、環状2号線を挟んで手前にも向こうにも同じ説明板が設置されています。道路を渡って真っ直ぐ路地を進み、十字路に出ると4つめの説明板がありました。その先は前回も訪れたみその公園の横溝屋敷です。
横溝屋敷の裏手に進むと、獅子ヶ谷市民の森入口の門がありました(市民の森制度については第28回参照)。行先案内板を見て師岡町公園の方向へ進んでいくと、やがて森を抜けて舗装された道に出ました。道なりに進んでいくと下り坂になり、坂を下りきると再び環状2号線に出て来ました。ルートは道路を挟んで向こう側に続きますが、近くに横断歩道がないので、新横浜寄りにある横断歩道を渡り、来た方向に戻ります。すると南谷戸(みなみやと)のバス停の先に、説明板を発見しました。その先で左の脇道を入り、最初の左角を曲がって道なりに歩いて行きます。突き当たりで左に曲がると、鬱蒼(うっそう)とした木々で囲まれた入口が見えてきました。そこを入って森を進んで行くと、6つめの説明板があり、その先は階段になっています。ここが仁和(にんな)元年(885年)に、光孝(こうこう)天皇の勅使(ちょくし)として派遣された藤原有房(ありふさ)が、師岡熊野神社を前に儀式を行ったとされる「式坂(しきざか)」です。階段を降りると、再びいの池の畔(ほとり)に出て、熊野神社の前に来ました。そこから右手の熊野郷土博物館脇の坂道を上っていくと、坂道に面した神社の入口右横に説明板がありました。坂道を上りきって、真っ直ぐ進むと住宅街の中に、今度は道標がありました。その手前で右に曲がると、民家の前にまた道標が。道の先には熊野神社市民の森への階段が見えます。階段を上って森へ入りましょう。ここから天神平(てんじんだいら)広場を通って、杉山神社へ向かいます。森を通って杉山神社へ着いたら、参道を抜け、右へ進むと、師岡沼上耕地公園の前に出ます。そこから師岡小学校、師岡熊野神社を通って、再び綱島街道に出ます。そして、区役所方面に進んだら、最初の信号で横断歩道を渡ります。そのまま正面の坂を上って道なりに進み、町会掲示板のところで左側の道に入ると、駅はもう間近ですが、その前に道標を発見。傍(かたわら)には草に埋もれた石仏がありました。そしてそこから目と鼻の先にもう1つ道標が。この短い距離の中に何故(なぜ)2つの道標を設置したのかが気になりつつも進んで行くと、その先の大通りは大倉山駅前です。今回のサインは説明板7つ、道標5つの計12個、サインの数は5ルートの中で最多でした。
「大倉山さんぽみち」は、誕生から25年が経ち、ルート上に置かれた3種類のサインも、開発や劣化等によって徐々に失われています。このままでは近い将来その存在は忘れられてしまうかも知れません。しかし、さんぽみちは、普段何気なく通り過ぎてしまう所に、私たちの知らない歴史や魅力があることを教えてくれる素敵な散策ルートです。また、探検手帳の地図を片手に歩くと、25年間の地域の移り変わりも見えてきます。冬が来て外に出るのが億劫になる前に、是非「大倉山さんぽみち」を歩いてみてはいかがでしょうか。
記:林 宏美(大倉精神文化研究所職員)
(2013年11月号)