第181回 区内散歩 -『広報よこはま』を読む-
- 2014.01.01
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
明けましておめでとうございます。昨年は「大倉山さんぽみち」を紹介しましたので、散歩つながりで、新春第一弾は、「区内散歩」を紹介しましょう。
港北区には、古くからの言い伝えや、名所・旧跡がたくさんあります。今月からこのシリーズでは、これらの中からいくつかを紹介していきます。これを機会に、みなさんも休日に家族連れで散策などして楽しんでみませんか。
これは、昭和55年(1980年)1月の『広報よこはま港北区版』の「新シリーズ 区内の名所・旧跡」に掲載されたあいさつ文です。今から34年前の文章ですが、今でも通用しますね。「新シリーズ」とあるように、その前は「町名の由来」というシリーズを12回(1979年1月~12月)にわたって連載していました。
さて、新春の第1回は、菊名山蓮勝寺(きくなさんれんしょうじ)の石猿(いしざる)と走大黒(はしりだいこく)(どちらも非公開)を取り上げています。石猿の話とは、石で出来た小さな猿の置物の、口元がなぜかいつも湿っていて、乾いたときには天変地異が起こるというものです。大正12年(1923年)の関東大震災も予知したという不思議な猿で、昭和51年(1976年)に刊行された『港北百話』にも掲載されている話なのですが、猿が蓮勝寺にやってきた経緯が異なっています。走大黒は、右足を少し前に出して走り出しそうな形をした木彫りの大黒様です。家に置くといろいろと忙しくなり、災いを招くといわれています。江戸時代末期のこと、江戸のある寺の門前にあった寿司屋がこの大黒をまつったところ、店は大忙しとなり病気で倒れる人が続出し、困った店主が金一封を添えてお寺に奉納しました。その寺の住職が、後に蓮勝寺に移るとき大黒様を持ってきたと伝えられています。この話、『港北百話』には採録されていません。
ごく一部の記名原稿を除いて、シリーズの著者は不明ですが、関係者から聞き取りをしたり、『港北百話』に無い話を採録したりしていて、興味深い内容です。港北区役所では昭和53年から61年(1978~86年)にかけて『港北区史』の編纂をしていましたので、何か関連があるのかも知れません。広報は、市民が必要とする市政情報を、分かりやすく正確・確実に伝えることを目的として発行されていますが、地域のことが分かる、このような楽しい記事もあります。
港北区役所では、昭和57年(1982年)10月の『広報』で、わが子に残したい昔話を募集しました。その応募作は、翌年1月から9月にかけて、7話が掲載(内2話は区内散歩に掲載)されました。その第2回は、蓮勝寺の石猿について書いた「石のサル」。作者は、当時樽町(たるまち)に住んでいた新井恵美子(あらいえみこ)さんでした。現在、新井さんは作家として活躍されています。ちなみに、菊名駅前のポラーノ書林で昨年7月から不定期で開催されている「大人のおはなし会」でも、「石のさる」を取り上げようと計画中とか...。
閑話休題、新シリーズは、名称を募集して、昭和55年(1980年)3月の第3回からは「区内散歩」と名付けられました。本ページ右上のロゴは、連載時に使用されたものです。「区内散歩」は、こうして昭和60年(1985年)7月の第60回辺りまではほぼ毎月のように連載されていましたが、その後は飛び飛びとなり、平成2年(1990年)11月の第77 回(正しくは78回目)「川のない橋(その3)-太尾町(ふとおちょう)の太尾上橋(かみはし)-」で終了しました。
川のない橋は、八杉神社の神橋(大豆戸町)と、金蔵寺の石橋(日吉本町)が紹介され、(その3)として、太尾町の西部(現大倉山6丁目と7丁目の境)にある太尾上橋を紹介しています。太尾上橋については、「わがまち港北」でも第175回、178回で紹介しました。記事の最後は、「今ではこの橋も役目は終えていますが、構造は地中にそのまま残っています」と結んでいます。こうして11年に及ぶ長期連載は終わりましたが、連載の成果は私たち読者の中にそのまま残っています。
当時の港北区は、平成6年(1994年)の分区の前で、現在の都筑区(つづきく)の辺りを含んでいました。全78回の内、現在の港北区域を扱っている記事がなんと66回もありますから、港北区域には伝承や名所・旧跡がとても多いことが分かります。「これを機会に、みなさんも休日に家族連れで散策などして楽しんでみませんか(第1 回挨拶より)」。
さて、連載も終わりに近づいた第74回(1990年1月)は、「小机(こづくえ)と村岡平吉(むらおかへいきち)」のタイトルで、興味深い人物を紹介しています。3月31日から始まる2014年度前期のNHK連続テレビ小説『花子とアン』に深くつながる、その人物の話は次回に。
記:平井 誠二(大倉精神文化研究所研究部長)
(2014年1月号)