第2回 大倉山の梅林
- 1999.02.01
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
今年(平成11年)も、2月27、28日の両日、大倉山の梅林で港北区役所主催の観梅会(かんばいかい)が開かれます。観梅の歴史は古く、すでに奈良時代から行われており、『万葉集』には118首の歌が載せられています。これは桜を詠(よ)んだ歌の3倍以上で、それほどに人気がありました。
さて、大倉山駅を下車して線路沿いに坂道を登り、大倉山記念館の脇をぬけて少し下ると、龍松院(りゅうしょういん)の手前に梅林が見えてきます。この梅林は、東急電鉄が龍松院から土地を購入し、昭和6年(1931)に開園したもので、小森嘉一氏(こもりよしかず、91歳、大倉精神文化研究所元研究員)の話によると、東横線の学芸大学駅の辺りにあった金持ちの別荘の梅を移植したのが始まりだそうです。その後、昭和18年頃に大倉邦彦が旧制の高等学校を大倉山に開校しようとしたとき(第8回参照)、校地に譲り受ける計画もありましたが、実現しないままに、戦後を迎えました。
戦後も梅林には数百本の梅が咲き誇り、東横線沿線の観光地として賑わい、かつては観梅の時期に臨時急行「観梅号」が大倉山駅に止まったこともあったそうです。
梅林は、昭和58年(1983)から61年(1986)にかけて東急から横浜市に売却され、再整備の上、平成元年(1989)に大倉山公園の一部として開園されました。現在は、25種類、約180本の梅が植えられています。一番本数が多いのは大きな実を付ける「白加賀(しらかが)」ですが、中国伝来で花が緑色がかった「緑萼梅(りょくがくばい)」、白とピンクの花を思いのままに咲かす「思いのまま」などといった珍しい梅もあります。六月頃には、実を付けますが、港北観光協会から園芸農家に依頼して実を集め、協会推奨の大倉山梅酒「梅の薫(うめのかおり)」を造り、観梅会の時に販売しています。観梅会から1ヶ月程すると梅林周辺は桜が満開になります。さらにその後は、駅からの上り坂の途中にハナミズキ(第29回参照)が白いきれいな花を咲かせます。春の大倉山に出かけてみませんか。次回は大倉山駅のお話です。
さて、筒粥(つつがゆ)のご神意は、「世の中 七分」と出ました。良い年になりますように。
記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)
(1999年2月号)
- 【付記1】 東急電鉄に問い合わせましたが、臨時電車については記録が少なく、「観梅号」の運行期間は不明でした。
- 【付記2】 地元の方の話では、かつて梅林脇には、管理人の家があり、売店の小屋もあったそうです。昭和30年代はまだ観光地が少なく、梅林でフィルム会社が主催した撮影会が催された時などは、大変にぎわったそうです。
- 【付記3】 1991年の調査によると、白加賀(しらかが)が40本で最も多く、その他は一重野梅(ひとえやばい)、曙(あけぼの)、田子の浦(たごのうら)、懸(てっけん)、古今集(こきんしゅう)、八重寒紅(やえかんこう)、八重野梅(やえやばい)、思いのまま、見驚(けんきょう)、筑紫紅(つくしこう)、八重寒梅(やえかんばい)、寒紅梅(かんこうばい)、野梅(やばい)、月影(つきかげ)、白玉梅(しらたまばい)、緑萼梅(りょくがくばい)、大盃(おおさかづき)、八重唐梅(やえとうばい)、鹿児島紅(かごしまこう)、唐梅(とうばい)、桜梅(さくらばい)、塒出の鷹(とやでのたか)、豊後(ぶんご)、花香実(はなかみ)、臥龍梅(がりゅうばい)、茶筅梅(ちゃせんばい)が各々1本から数本程度確認されています。
- 【付記4】 横浜市緑政局のホームページによると、2003年現在で30種約180本の梅があるそうです。
- 【付記5】 2004年現在で、36種201本となっています。