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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第200回 大倉山への資料疎開よもやま話 −終戦秘話その19-

2015.08.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


終戦から70年を迎えるこの8月、「シリーズ わがまち港北」は奇しくも連載200回を迎えました。連載開始以来、8月号ではほぼ毎年、戦争に関する話題を「終戦秘話」として取り上げてきました。今回は19回目です。こちらもキリよく20回となればよかったのですが、そう偶然は重なりませんね。

さて、海軍気象部第5分室が大倉精神文化研究所本館(現、横浜市大倉山記念館)の建物を借用して業務を行っていたこと(第44、69、164回)、海軍の水路部が研究所本館に資料を疎開していたこと(第165回)は、これまでの終戦秘話でお伝えしてきました。しかし、研究所に資料の疎開を依頼した機関が実は他にもあります。外務省と神奈川税務署です。

外務省による大倉山への資料疎開については、『外務省図書疎開略記』(昭和19年6月作成)から、その詳細を知ることができます。外務省では、昭和19年(1944年)1月18日から資料疎開の具体的な検討を始め、疎開先についても、職員が各地へ出張して調査を行いました。その結果、当初は長野県立図書館を有力候補地としました。しかし、この頃、東京では大規模な民間疎開が始まり、疎開のための資材入手や輸送に支障が生じていました。外務省は、安全な遠隔地への疎開をあきらめて、隣県の適当な場所に疎開することとします。そこで候補地となったのが、研究所本館でした。

外務省から研究所への依頼は、昭和19年(1944年)3月31日付けで送られてきました。その内容は、外務省が所蔵する図書雑誌の中で、戦争中、安全に保管する必要のある貴重図書の一部、約15,000冊を研究所内の書庫で保管して欲しいというものでした。依頼を受けた研究所では4月4日付けで承諾の回答を送ります。

研究所からの回答を受けた外務省は、早速図書の搬入を始めます。搬入は4月6日と18日の2回行われました。1回目の搬入では、外務省の職員9人が弁当持参で大倉山へやってきました。そして、石炭箱170個分、約2,500冊の図書がトラックで運ばれ、研究所の門前で図書の入った石炭箱を下ろしました。門前は、記念館坂を上って大倉山記念館へ向かう階段の下、横浜市指定有形文化財の標柱が立っているあたりだと思われます。下ろした箱は、30段程の石段を「手送り」で「丘上(きゅうじょう)」に上げました。さらに書庫入口までの約100メートルをリヤカーで運び、そこで図書を箱から出し、地下書庫の鋼鉄製書架に収めたそうです。2回目の搬入もほぼ同様の手順で行われ、研究所本館の地下書庫に図書約4,500冊が収められました。

ところが、図書の搬入はこの2回で打ち切りとなります。研究所本館の一部が「軍の或目的のため」に使用されることになったからです。この「或目的」は、おそらく海軍気象部の大倉山移転を指すのでしょう。その後、研究所に運ぶことができなかった残りの図書は、埼玉県大里郡八基村(おおさとぐんやつもとむら・現、深谷市)の農業会倉庫に収められました。研究所へ搬入された外務省の図書は終戦まで保管されました。研究所の日誌を見ると、昭和21年(1946年)10月15、16、21日の3回、外務省の職員が研究所へ図書の整理・引き取りのために来所しています。その後11月7日には、外務省の井上文書課長が図書保管のお礼に来ています。

続いて、神奈川税務署による資料疎開の話です。

昭和19年3月3日、税務署員2名が来所して、重要簿書の疎開と、庁舎が万一罹災(りさい)した場合の移転受け入れを依頼し、研究所側は快諾したようです。その後、8月に改めて一部簿書の疎開について依頼があり、その約1ヶ月後の9月11日、16箱分の書類が研究所に搬入されました。当日は松江章人税務署長も挨拶に来ています。その後、終戦まで保管された書類は、昭和20年(1945年)11月8日に引き取られています。ちなみにこの日は、中央気象台(気象庁の前身)も、海軍気象部から引き継いだ荷物を研究所へ取りに来ました。

研究所の図書館書庫では、今でも、海軍気象部や水路部のものと思われる資料が発見されることがあります。近い将来、書庫の片隅に眠っていた外務省や税務署の資料も見つかるかも知れません。

終戦から70年の節目に際して、新聞やテレビでは、年頭から戦争に関する話題を積極的に取り上げています。しかし、最近では太平洋戦争を知らない子どもたちもいると聞きます。それだけ過去の戦争について学ぶ機会が減っているということでしょう。

今年は戦争をテーマとした展示会、講演会などの催しも数多く行われています。願わくは、これらを今年限りの記念行事とせず、平和について考える永続的な取り組みにつなげたいものです。

記:林 宏美(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)

(2015年8月号)

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