第202回 高田地区 -地域の成り立ち、その8-
- 2015.10.01
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
高田(たかた)地区は港北区の北西部に位置し、東は下田町(しもだちょう)・日吉本町・綱島西に接し、西は都筑区(つづきく)、南は早渕川(はやぶちがわ)を挟んで新吉田町・新吉田東、北は川崎市に接しています。江戸時代には武蔵国(むさしのくに)都筑郡(明治以降は神奈川県都筑郡)高田村と呼ばれていた地域です。
高田は古い歴史と伝説を持つ地域です。この辺りは都筑郡と橘樹郡(たちばなぐん)の郡境に位置しており、さらに古い時代には高田村も橘樹郡に属していました。平安時代の承平(じょうへい)年間(931~938年)に成立した百科事典『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』では、橘樹郡の地名が5ヵ所だけ記されていますが、その筆頭に高田が書かれています。当時、政治や文化の中心であった京都にも高田の名が知られていたことが分かります。
高田四丁目にある塩谷寺(えんこくじ)は、寺伝によると文徳(もんとく)天皇(在位850~858年)の時代、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん・794~864年)が高田の地に湧き出る霊泉(塩水)を献上したところ、皇后(こうごう)の病が癒え、懸案だった世継ぎの選定もできたそうです。喜んだ天皇は慈覚大師にお寺の建立(こんりゅう)を命じ、仁寿(にんじゅ)元年(851年)霊泉の場所に薬師如来を本尊とする塩谷寺が創建されたと伝えられています。『愁思(しゅうし)・雅楽(ががく)の韻律(いんりつ)・高田』(港北区役所市民課社会教育係、1985年)所収の田中俊一郎「高田聞き書き」によると、霊泉は塩谷寺の「薬師堂に向かって左側の山根」から湧き出ていたそうです。薬王山光明院塩谷寺の名は、この伝承から名付けられたものです。ちなみに、本尊は江戸時代以降馬頭観音になっています。
塩谷寺の近くにある興禅寺(こうぜんじ)は、同じく慈覚大師が仁寿3年(853年)に創建したと伝えられています。前述の『愁思・雅楽の韻律・高田』には、「興禅寺雅楽(無形民俗文化財)の由来」という文章もあり、興禅寺住職興国(こうこく)亮渕(りょうえん)師の弟子だった小形為蔵(おがたためぞう)少年が、明治27、28年(1894、95年)頃に東京から来た楽人(がくにん)に芸を伝承されたことが雅楽会の始まりであったことを伝えています。地元の古老は、塩谷寺を「上(かみ)の寺」、興禅寺を「下(しも)の寺」と呼んだりします。この辺りは、春になると桜がきれいです。
さて、明治3年(1870年)の高田村は、戸数98戸、人口は561人でした。明治22年(1889年)高田村は新羽(にっぱ)村・吉田村(よしだむら)と合併して新田村(にったむら)となり、新田村大字(おおあざ)高田と呼ばれるようになりました。そして、横浜市に編入された昭和14年(1939年)に新羽・新吉田と分かれて、高田町となりました。高田地区の北部はなだらかな丘陵地帯となっており、西原(にしっぱら)、東原(ひがしっぱら)、南原(みなみっぱら)と呼ばれていました。現在、この辺りは農業振興地域に指定されており、農地が集中しています。
高田の地名の由来は、高いところにある田、という意味だといわれています。この場合、田は水田に限定されず、耕作地と解釈されるようです。今でもそうした由来を彷彿(ほうふつ)とさせる風景が広がっています。有名な「横浜緋桜」もここで生まれました(第75回参照)。
地区の中央部は南西向きの斜面となっています。港北区内から横浜の市街地まで一望できる、見晴らしの良いところが多くあります。特に、高田天満宮(第145回参照)の石段からの眺望は有名です。
早渕川に沿った南部地域は、かつては水田地帯となっており、上流側から上耕地(かみこうち)、下耕地(しもこうち)と呼ばれていました。水源としては、早渕川と、御霊橋(ごりょうばし)辺りで早渕川から分水した新川(しんかわ)という用水路を使用していました。この水田地帯は、高度経済成長期に戸建て住宅や工場が建てられるようになります。上耕地では、早渕川と日吉元石川線道路に挟まれた地域が準工業地域に指定されて工場が立ち並び、道路の北側はおもに第1種低層住居専用地域になりました。下耕地にも住宅が多数建設されました。
こうした状況を受けて、高田地区の南部は平成11年(1999年)に住居表示が実施され高田東一~四丁目、高田西一~五丁目となりました。高田西四丁目には、未就学児とその保護者を対象とした「たかたんのおうち」があります。
平成20年(2008年)3月、市営地下鉄グリーンライン高田駅が開業しました。交通の利便性が向上したことにより、近年は駅を中心として住宅や商業施設が増えつつあります。高田地区の人口は、今年8月末現在で8,505世帯、18,187人となっています。港北区内では、高齢化率の高い地区であり、高田地域ケアプラザや地区内にある8つの自治会町内会では、要援護者支援の取り組みを強化するなど、高齢者福祉の課題に取り組んでいます。
記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)
(2015年10月号)