閉じる

大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第205回 樽町地区 -地域の成り立ち、その9-

2016.01.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


樽町(たるまち)地区は港北区の東部に位置し、東は鶴見区駒岡(こまおか)に接し、西は東横線や綱島街道(東京丸子横浜線)のあたりで大曽根(おおそね)に接しています。南側には権現山(ごんげんやま)や天神山(てんじんやま)があり、熊野神社市民の森となっており師岡町(もろおかちょう)に接しています。地形は北に行くほど低地となり、鶴見川を挟んで綱島東(つなしまひがし)に接しています。江戸時代に、武蔵国(むさしのくに)橘樹郡(たちばなぐん・明治以降は神奈川県橘樹郡)樽村(たるむら)と呼ばれていた地域とほぼ同じです。

樽の地名の語源には、①師岡熊野神社に御神酒(おみき)を入れた樽を奉納したから、②鶴見川が氾濫すると樽に水を張ったようにいつまでも水が退かないから、③南側の丘陵が切り立っており、そこから滝のようなわき水が出る地形から「タル(垂)」の音(おん)に樽の字を当てたなど諸説あります。

鶴見川対岸に位置する綱島は、かつて綱島温泉として有名でしたが、実は温泉が最初に発見された場所は樽村で、大正3年(1914年)のことでした(第62~65回参照)。ですから、「ラヂウム霊泉湧出記念碑」は大綱橋の南側の樽町二丁目にあります。

温泉施設は、まず樽村に造られ始めました。しかし、大正15年(1926年)、鶴見川の対岸である綱島に駅が造られ、綱島温泉の名で駅周辺の開発が進みます。東急電鉄は、樽町側も発展させようと、昭和8年(1933年)から樽町に綱島菖蒲園(つなしましょうぶえん)を開設しました。樽町にあっても綱島の名が付けられました。

これまで、菖蒲園はわずか3年で閉園したといわれてきましたが、東急電鉄の社内報『清和(せいわ)』によると、昭和12年(1937年)も開園していますので、昭和13年6月の大洪水(第66 回参照)の被害で閉園したものと思われます。いずれにしても短期間の開設でしたが、樽町の人たちの心に深く刻まれたようです。今でも交差点やバス停の名に菖蒲園前としてその名を留めています。ちなみに、樽町しょうぶ公園があるのは樽町一丁目ですが、綱島菖蒲園があった場所は道を挟んだ北側の樽町二丁目でした。

樽町しょうぶ公園には公園愛護会があり、植栽管理や清掃活動、記念植樹などをしていますが、三渓園から菖蒲を株分けしてもらうなどして、何度か菖蒲の花を育てようとしたこともあります。そうした熱心な活動により、平成19年度横浜市公園愛護会表彰を受けています。

昭和49年(1974年)開校の市立樽町中学校は、菖蒲園にちなんで校章に菖蒲の花をかたどっています。そこからヒントを得て、「しょうぶちゃん」が作られ、「しょうぶちゃん」が「たる坊」の頭に乗っかり、樽町地区キャラクター「たる坊としょうぶちゃん」になりました。ちなみに、名前はその後「たる坊」だけになりましたが、頭に「しょうぶちゃん」が乗ったデザインは変わっていません。このように、今でも菖蒲園は樽町に影響を与え続けています。

余談ですが、菖蒲園前から東へ向かうと次のバス停が「札の下(ふだのした)」、江戸時代に高札場(こうさつば)があった北側という意味です。さらに、「樽町」「駒岡」と続きます。駒岡は鶴見区の地名ですが、駒岡のバス停がある場所はまだ樽町です。

さて、明治5年(1872年)の樽村は、戸数51戸、人口307人でした。明治22年(1889年)、樽村は大豆戸村(まめどむら)、篠原村(しのはらむら)、菊名村(きくなむら)、大曽根村、太尾村(ふとおむら)、南綱島村、北綱島村と合併して大綱村(おおつなむら)となり、大綱村大字(おおあざ)樽と呼ばれるようになりました。そして、横浜市に編入された昭和2年(1927年)に樽町となりました。その後、昭和57年(1982年)に住居表示が施行され、現在は樽町一丁目~四丁目となっています。一・二丁目と三・四丁目の境には、高架の東海道新幹線が通っています。

鶴見川は暴れ川でしたので、地区の北側低地に造られた砂地の田畑は、洪水や旱魃(かんばつ)の被害を度々受けていました。『港北区史』によると、江戸時代後期の54年間(1789~1842年)に水損(すいそん)9回、旱損(かんそん)8回、風損(ふうそん)1回の計18回、なんと3年に1度は何らかの被害を受けていたことになります。近代になると稲作の他にタマネギ、ナシ、ビワなど野菜や果樹栽培に着手し、中でも「おい蕪(かぶ)」の生産は有名でした。

水害の影響を受けやすかった低地部は、大半が準工業地域か工業地域に指定されて、様々な工場が進出しました。しかし、治水対策の進展に伴い、マンションなどの大規模集合住宅や大型商業施設も目立つようになり、生活に便利な地域へと変貌(へんぼう)して、人口は、今年11月30日現在で7,852世帯、17,061人に増加しています。区内でも人口増加率が高く、0歳から14歳の年少人口比率も高い、若い街となっています。子育て世代には、「子連れおでかけマップ」がありますので、樽町地域ケアプラザや区役所などで手に取ってみて下さい。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)

(2016年1月号)

シリーズわがまち港北の記事一覧へ