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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第207回 綱島地区-地域の成り立ち、その10-

2016.03.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


港北区域の課題は何か、港北区はどのように形成され、これからどう変わろうとしているのか、そんな疑問は、毎年1月号の『広報よこはま』港北区版が分かりやすく答えてくれます。今年の1月号では、「港北区初夢 夢あふれる港北の未来」と題して、様々な計画が紹介されています。

その中で、新たな施設の整備・企業の進出として4件紹介されていますが、なんと綱島地区に3件も集中しています。①2016年3月下旬地域子育て支援拠点サテライトがオープン、②2018年Tsunashima(つなしま)サスティナブル・スマートタウンの整備、③2019年~2020年(仮称)新綱島駅の開業と区民文化センターの整備です。綱島は今、大きく変貌しようとしているのです。

綱島地区は港北区の北部に位置し、東から北西にかけては日吉(ひよし)、箕輪町(みのわちょう)、日吉本町(ひよしほんちょう)に接し、西は高田東(たかたひがし)、早渕川(はやぶちがわ)、新吉田東(しんよしだひがし)に接しています。南側には鶴見川が流れ、川を挟んで大曽根(おおそね)や樽町(たるまち)と接しています。

かつて、武蔵国橘樹郡(むさしのくにたちばなぐん)綱島村と呼ばれていた地域とほぼ同じです。綱島村は、江戸時代中期に南綱島村と北綱島村に分かれました。南綱島村の名主が池谷(いけのや)家で、明治の末から昭和前期に地域で桃栽培を奨励しました。北綱島村の名主は飯田(いいだ)家で、明治から大正期に天然氷の生産を奨励しました。共に港北区域の経済発展に大きく尽力したことで知られています。

さて、明治5年(1872年)の綱島地区は、南北両村合わせて戸数155戸、人口906人でした。明治22年(1889年)、南北綱島村は大豆戸(まめど)村、篠原(しのはら)村、菊名(きくな)村、大曽根村、太尾(ふとお)村、樽村と合併して大綱村(おおつなむら)となり、大綱村大字(おおあざ)南綱島・北綱島と呼ばれるようになりました。そして、横浜市に編入された昭和2年(1927年)に南綱島町・北綱島町となりました。その後、昭和22年(1947年)の耕地整理事業により早渕川の西側が綱島上町(つなしまかみちょう)となりました。昭和48年(1973年)には住居表示が施行されて、綱島公園や綱島市民の森がある台地が綱島台(つなしまだい)となり、東横線の線路を境として綱島東一丁目~六丁目、綱島西一丁目~六丁目となりました。鉄道が、地域の結びつきを南北から東西へと変えたのです。今年1月31日現在の人口は、20,454世帯、41,714人となっています。

綱島の地名の語源は、①鶴見川と早渕川の合流点に位置し洪水になりやすい地形から、湿地に浮かぶ島、津の島が転じたとする説が有力ですが、この他に、②かつてこの地を支配していた綱島三郎信照(つなしまさぶろうのぶてる)の姓から名づけたとする説、③かつて馬を生産していたので馬に関係のある地名だろうとする説などもあります。

綱島の地名の初出は鎌倉初期の承元(じょうげん)3年(1209年)と古く、室町時代の応永(おうえい)12年(1405年)には交通の利便のため、綱島に橋を架けた記録もあります。橋の場所は、大綱橋の少し下流、旧綱島街道(稲毛道・いなげみち)にかつて架けられていた綱島橋の辺りと思われます。綱島橋のたもとには、鶴見川舟運の河岸(かし)もありましたので、古くから水陸の交通の要衝(ようしょう)として栄えていたことが窺われます。この辺りを鎌倉街道が通っていたとの説もあります。綱島は温泉の発見と東横線開通により栄えたと思われがちですが、実は中世から地域の拠点であったのです。

さて、昨年5月に営業を休止した東京園の北側から、綱島駅の下を通り、東照寺(とうしょうじ)の前から三歩野橋へ抜ける道路があります。その道路の、東京園辺りから綱島小学校南側辺りまでと、鶴見川に挟まれた地域、そこに温泉旅館や商業施設が数多く造られたことから、やがて綱島温泉町、綱島温泉中町という字名(あざな)が付きました。現在、温泉は廃れましたが、綱島温泉町自治会の名称等にその名を留めています。この辺りが、現在商業地域に指定されている場所です。

温泉旅館等の跡地は敷地面積が広いことから、昭和40年代以降、綱島温泉が衰退すると、賃貸マンションや大規模商業施設が多数建設されました。港北区は市内でも民間の借家に住む世帯の比率が特に高い区ですが、その中でも綱島地区の借家率が最も高いのは、そうした理由からです。

開発が早かったことから、現在でも綱島駅発着のバスが19路線もあるなど、交通の利便性が高いのですが、その一方で、道路が狭く、歩道整備の遅れや駐輪場不足、老朽化した建物等が長年の課題でした。2019年の相鉄・東急直通線新綱島駅(仮称)の開業に合わせて、こうした課題を解決しようと、綱島の新たなまちづくりが始まっています。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)

(2016年3月号)

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