第210回 校章を考証すると・・・
- 2016.06.01
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
前回、早渕川(はやぶちがわ)について調べていた時のことです。新吉田(しんよしだ)第二小学校の校章が、遠望出来る富士山と、校庭脇を流れる早渕川でよく見かける白鷺(しらさぎ)をモチーフにしていることを知りました。児童が、富士のごとく大地にどっしりと根をおろして成長し、未来に向かって大きく羽ばたくことを願って制定したとのことです。
第139回で小学校の校歌を分析しましたが、今回は校章について調べてみました。
戦前に開校した小学校は5校ですが、古くからの校章を使い続けている学校と、変更した学校があります。
明治7年(1874年)開校の高田(たかた)小学校では、大正14年(1925年)に新校舎落成を記念して校旗を寄贈することになり、学問の神様菅原道真(すがわらのみちざね)を祀(まつ)る高田天満宮にちなんで梅の花をかたどった校章を定めました。明治33年(1900年)開校の城郷(しろさと)小学校では、開校時に訓導(くんどう)小野寺福蔵先生の考案による桜の花をかたどった校章が作られたようです。両校の校章は、現在も使われています。
一方、明治6年(1873年)開校の日吉台(ひよしだい)小学校は、校歌第3節の「正しく・強くやさしきに」から、剣・鷹(たか)・桜を図案化した校章を作りましたが、戦後になり剣を外しました。明治33年(1900年)開校の大綱(おおつな)小学校は、大正10年(1921年)より以前に八咫鏡(やたのかがみ)と綱をデザインした校章が作られていましたが、やはり戦後に作り直されたようです。昭和33年(1958年)に作られた校旗では、鏡が外され、「大綱」の文字を綱で囲った現在の校章が刺繍されています。
明治26年(1893年)開校の新田(にった)小学校はよく分かりませんでした。ご存じの方は教えてください。
戦後に開校した20校で校章を変更したところはありませんが、菊名小学校や綱島東小学校の校章は微妙にデザインの修正が行われています。
校章のデザインには、①校名や地名の文字を図案化したもの、②動植物を使ったもの、③地理的環境をデザインしたもの、②と③を併せたものなどがあります。大半の校章は、各学校のホームページから見られます。
①には、「大」の字を使った大曽根(おおそね)小学校、校名の周りを綱の絵で囲んだ大綱(おおつな)小学校と北綱島小学校、菊の葉で囲んだ菊名小学校、港北の2文字を図案化した港北小学校、「しのはら西」の5文字をならべた篠原西小学校、矢のイラストで周りを囲んだ矢上(やがみ)小学校の校章があります。
②の校章は多くて、小机城代(じょうだい)笠原氏の家紋である柏(かしわ)を使った小机小学校、風渡る緑の林を颯爽(さっそう)と駆(か)ける若駒(わかこま)をデザインした駒林(こまばやし)小学校、篠竹(しのだけ:笹[ささ])の葉を図案化した篠原(しのはら)小学校、昔の地名である橘樹郡(たちばなぐん)の橘(たちばな)と円形校舎を図案化した下田(しもだ)小学校、地域の名産だった桃の花を取り入れた綱島小学校と綱島東小学校、地域の街路樹であり校庭を囲んでいる銀杏(いちょう)の葉を用いた日吉南小学校、大倉山の梅を使った大豆戸(まめど)小学校があります。前述した城郷小学校、高田小学校、日吉台小学校も②に分けられます。
③には、外輪(がいりん)で鶴見川・内輪(ないりん)で早渕川をあらわした新吉田小学校、緑の丘に朝日が昇る様を図案にした高田東小学校の校章があります。
②と③を組み合わせたのが、最初に紹介した新吉田第二小学校、鶴見川と竹林をデザインした新羽(にっぱ)小学校、鶴見川と梅をデザインした太尾小学校です。
師岡(もろおか)小学校だけは、いずれにも当てはまらず、本とペンのイラストを組み合わせて羽ばたく鳥を表しています。
考証してみると、どの校章にも、教育目標や、児童のすこやかな成長、児童・教師・保護者の結びつき、母校や地域の発展などの願いが込められていました。また、戦後に開校した小学校の中には、最初の卒業式に間に合わせようと、関係者が公募や選定に奔走(ほんそう)したことや、その忙しさの中でも色や形、文字の書体など細部にまでこだわって、熱い想いを子供達や未来へ伝えようとしたことが語り継がれている学校がいくつもありました。
紙面が尽きましたので、小学校以外の校章についてはまた別の機会に紹介しましょう。
昭和58年(1983年)に小机小学校が開校して以降、区内では30年以上も新設校がありませんでした。しかし、昨年11月に閉店したアピタ日吉店周辺地域の再開発の中で、日吉台小学校第二方面校(仮称)を2020年に開校する計画が進められています。どのような願いを託した校章・校歌が作られるのでしょうか、今から楽しみです。
記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)
(2016年6月号)