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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第216回 日吉地区 -地域の成り立ち、その12-

2016.12.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 日吉(ひよし)地区は港北区の北東部に位置し、北側は丘陵部となっており、尾根の向こうは川崎市です。東端には矢上川(やがみがわ)が流れ、川を挟んで川崎市と接しています。南側は綱島地区、西側は高田(たかた)地区に接しています。
 日吉の地名は、明治22年(1889年)に生まれた比較的新しい地名です。かつてこの地域が武蔵国橘樹郡(むさしのくにたちばなぐん)と呼ばれていた頃には、駒ヶ橋(こまがはし)村、駒林(こまばやし)村、箕輪(みのわ)村、矢上(やがみ)村、南加瀬(みなみかせ)村、鹿島田(かしまだ)村、小倉(おぐら)村などの村々がありました。明治22年、それら7ヵ村が合併して日吉村となりました。地名の由来は、駒林村(日吉本町)の金蔵寺(こんぞうじ)境内にある日吉権現にち なんで付けられたとする説が有名ですが、かつてこの地域にあったとされる日吉丸(ひよしまる)の古蹟(こせき)にちなむとする説もあります。
 この橘樹郡日吉村に、大正15年(1926年)日吉駅が開業し、昭和9年(1934年)には駅東口に慶應義塾大学のキャンパスが出来ました(第55回参照)。その頃から、横浜市と川崎市は日吉村を市域に編入しようと張り合い、村議会も大騒ぎとなりました。結局、昭和12年(1937年)に、村の中央を南北に流れる矢上川を境として村は2分割され、それぞれ横浜市神奈川区と川崎市に編入されました。横浜市に入ったのは、矢上川の西側に位置している駒ヶ橋(下田町)、駒林(日吉本町)、箕輪(箕輪町)と、矢上の大部分(日吉)で、これがほぼ現在の日吉地区になっています。昭和14年(1939年)に港北区が成立すると共に、日吉地区も港北区となりました。
 一方、矢上川の東側は川崎市に入りました。川崎市幸区(さいわいく)の一部が、同じ様に「日吉地区」と呼ばれていたり、昭和7年(1932年)に開校した日吉小学校が川崎市側にあるのは、そのためです。
 さて、日吉地区の中央には北東から南西にかけて、綱島街道(東京丸子横浜線道路)と東急東横線が併走しており、日吉駅があります。
日吉駅西側は、かつて東急が分譲地(田園都市)として開発した地域で、駅を起点に北から浜銀通り、中央通り、普通部通りが放射状に伸び、現在では商店街を形成しています。
 そのさらに西側は、閑静な住宅街となっていますが、昔は農地が広がっていました。かつてその中を流れていた松の川は、高田天満宮がある丘の下辺りに源を発し、駒ヶ橋から矢上の耕地を潤し、矢上川に注いでいました。昭和32年(1957年)に日吉団地(下田公団住宅、現サンバリエ日吉)が作られた頃から、宅地化が進みます。やがて松の川は農業用水としての役目を終え、暗渠(あんきょ)とされましたが、公園整備が進められ、平成11年(1999年)3月には松の川緑道が完成しました。松の川緑道まつりは、今年で22回を数えます。緑道の近くには、日吉の森庭園美術館(下田町三丁目)もあり、地域の自然や歴史を活かした憩いの場となっています。
 一方、日吉駅周辺には、慶應に続いていくつもの学校が進出し、若者の街となりました。若者の街らしく、地域インターネット新聞の横浜日吉新聞(2015年7月~)が、詳しい情報を精力的に発信し続けています。ゲームソフトの開発で有名なコーエーテクモゲームスの本社もあります(箕輪町、移転計画あり)。
 日吉駅が開業して、今年で90年になります。その間に地下鉄等の相互直通運転が始まり、日吉駅から都心各方面へ直接出られるようになりました。平成20年(2008年)には、緑区の中山駅を起点として日吉本町駅を通り、日吉駅を終点とする市営地下鉄グリーンラインも開通しました。
 日吉地区の人口は、昭和23年(1948年)で1,505世帯、6,940人でしたが、今年10月末で35,423世帯、71,680人に増えています。日吉地区は大きく変貌しましたが、今も更なる開発が進みつつあります。
 箕輪町にあったアピタ日吉店(元サンテラス日吉、1977年~2015年11月)などの跡地約5.6㏊では、現在大規模集合住宅と日吉台小学校第二方面校(仮称、2020年4月開校予定)が作られる計画が進んでいます。
 さらに、新横浜駅から綱島街道の下を通って日吉駅の地下まで、相鉄東急直通線の工事も進んでおり、2022年度後半頃に開通する予定です。地下鉄グリーンラインは乗客が増え続けていますし、鶴見駅へ延伸する計画もあります(事業化は未定)。今後、鉄道網の整備が進んでいくと、ターミナルとしての日吉駅はますます重要性を増し、地域の様子も大きく変化していくことでしょう。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)

(2016年12月号)

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