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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第227回 港北のお城と館 ―その2、大曽根の3館―

2017.11.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


前回に続いて『新編武蔵風土記稿』(以下、風土記稿と略称)を見ていきますと、大曽根村の項に「塁跡(砦の跡)」と「伊藤屋敷」の記述があります。風土記稿の活字本は「伊東」としていますが、将軍への献上本により「伊藤」に改めます。

2.大曽根砦

大曽根城ともいわれます。場所は未確定ですが、大倉山の丘陵の中程、龍松院の裏山にあったといわれています。推定地からは、鶴見川が少しと対岸の綱島しか見えません。綱島側から攻めてくる敵に対する防備として築かれた砦でしょうか。敵を見張るには、丘陵の先端に砦を築いた方が広く見渡せて良さそうに思えます。調べてみると、太尾見晴らしの丘公園がある辺りに残されている牢尻の地名は、ここに大曽根砦の楼(物見櫓)があったことに由来するという説がありました(別の説もあり)。

風土記稿によると、小机城主(正しくは城代)笠原能登守義俊(康勝の誤りか)の弟である平六義為が、明応9年(1500年)に小机ので出張城となる砦を構えて住み、後にその場所を殿谷と呼ぶようになったと記しています。龍松院の裏山を北側に降った辺りの谷戸は、今でも字殿谷と呼ばれています。風土記稿の調査がなされた約200年前には、すでに砦の痕跡は無くなっていましたが、かつては堀の跡があり小橋が架けられていたとの伝承と、そこを掘ると遺物が出土することも記されています。

子宝に恵まれなかった平六義為は、村内長光寺の住職円覚法印に依頼して稲荷に念じたところ、妻が懐妊したことから、砦の中に稲荷神社を勧請して、笠原稲荷と名付けました。生まれた子が筑後広定、広定の子が広信。広信は、伊豆と駿河の国境に北条氏が築いた戸倉城で、天正9年(1581年)に武田軍と戦った時に、一族が皆戦死してしまいました。さらに天正18年(1590年)小田原城が落城すると、自ら砦を壊し退去します。広信は後に名を冨川与右衛門と改め百姓となり、その子孫が現代まで続いています。

3.城田弥三郎屋敷

上記の話は、冨川家の由緒書によると少し違います。平六義為が砦を構えようとした時、先住者城田弥三郎の屋敷があったというのです。

由緒書によると、城田弥三郎は田代冠者秀忠と名乗り、鎌倉田代の郷に住んでいたといいます。源頼朝の家臣として有名な田代冠者信綱の一族に当たるのでしょうか? 田代秀忠は、ある時戦に敗れて百姓となり、大曽根村のまこも池(現大曽根公園)のほとりに移り住み、名を城田弥三郎と改めます。綱島台の陽林寺は、この田代秀忠を開基として伝えています。

ところが、明応8年大晦日の深夜から元日の未明にかけて、笠原平六義為(城田家では新六郎と伝える)は、城田弥三郎を無理矢理綱島へ追い立て、屋敷を奪って出城を築きました。非道を怒った城田弥三郎は、ずっと笠原をつけねらい、ある小雨の降る日、夜陰に乗じて笠原から屋敷を取り戻そうとしましたが失敗し、まこも池のほとりで首をはねられました。一説には大綱橋の近くで家臣共々首をはねたともいわれ、戦後まで橋の近くに城田弥三郎の首塚があったそうです。『鶴見川沿い歴史散歩』は、大永7年(1527年)のことと記しています。城田弥三郎は百姓になっていたといわれますが、家臣がおり、笠原と戦もしているので、ここでは弥三郎屋敷をお城と館の数に入れておきたいと思います。

城田弥三郎が屋敷を奪われたのは大晦日の夜のことだったので、城田家では今でも松飾りを立てず、雑煮も正月を過ぎてから食べるそうです。

4.伊東屋敷

大曽根の殿谷には、もうひとつ伊東屋敷がありました。大曽根砦との位置関係はよく分かりません。

風土記稿によると、永禄(1558~70年)の頃、伊豆の住人で伊藤藤七という者がいました。小机城の笠原平左衛門(照重、能登守の子)と親しくて、北条家への仕官を頼みましたが、平左衛門は藤七を自分の家臣にしたくて紹介しませんでした。前述した天正9年の戸倉城の戦いで、平左衛門は戦死します。藤七は平左衛門の遺児をかくまい、殿谷に屋敷を構えて養育しました。これが伊藤屋敷です。

天正18年、藤七は神奈川宿で徳川家康に遺児を拝謁させます。遺児は都筑郡台村(緑区台村町)に新知200石を賜り、小姓に取り立てられます。風土記稿は遺児の名を記していませんが、この話は『寛永諸家系図伝』や、徳川家康の伝記をまとめた『朝野旧聞褒藁』などに天正19年のこととして、名も笠原弥次兵衛重政と記されています。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所所長)

(2017年11月号)

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