第23回 大蛇はよみがえる -注連引百万遍-
- 2000.11.01
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
前回お話しした「道切り」の行事は、いずれも終戦の頃には全く見られなくなってしまいました。しかし、新羽(にっぱ)の中之久保(なかのくぼ)では、地域の方々の努力によりそれが復活されました。
かつて、地域に疫病(えきびょう)が流行したとき(220年程前の天明の大飢饉の時ともいわれます)、旅の行者(ぎょうじゃ)がワラ蛇(へび)を作って病魔退散をすることを教えてくれたことが、注連引百万遍(しめひきひゃくまんべん)の始まりと伝えられています。中之久保は、村の出入り口が南・北・西の三筋ありました。そこで、毎年4月15日に男衆がワラで3メートル程の大きな蛇を3体作ってそれぞれ村境に運び、ヒイラギの木に巻き付けて御神酒をそそぎました。女衆は5月1日に大数珠(おおじゅず)をまわして百万遍念仏を唱えました。このワラ蛇は、翌年までそのままにされて、村の中を一年間にわたり悪疫から守り続けました。
この行事は昭和16年(1941)頃戦争により中断してしまいましたが、昭和54年(1979)5月1日、地域の人々の念願であった新羽小学校・中学校の開校を記念して復活されました。地元の古老の方の協力により、古式のままに再現されたのです。まず、蛇の頭は稲ワラで七五三に市松に編まれます。蛇の舌と目はカツの木で作ります。これは「勝つ」を意味します。舌は赤く、長く飛び出た目(目が出る、幸運が来るという意味)は黒く塗ります。蛇の背には御幣(ごへい)の付いた棒を立てます。また、30~40センチ程の小さな蛇も作り、講中の各家に配布し、玄関先に飾られました。昨年(平成11年)、筆者は地元の方からこの小さな蛇をいただいて研究室に飾っています。
平成8年(1996)からは材料不足などにより再び中断していますが、筆者が昨年(平成11年)5月に中之久保の南境にある庚申塔(こうしんとう)を訪れたときには、その後ろのヒイラギの木にはまだ朽(く)ちたワラ蛇が残っていました(平成12年現在ではもう何も残っていません)。
しかし、このワラ蛇作りは、多くの方々の努力により、平成9年(1997)からは新羽小学校の体験学習に取り入れられました。こちらは今でも続けられており、子供達の情操教育や伝統文化の継承に役立っています。毎年稲刈りが終わると、地元の方が小学校の体育館でまず大蛇を作り、その後で三年生の子供達も教わりながら一体ずつ小さな蛇を作ります。大蛇は小学校の校門脇の木に巻き付けられます。今年もこの冊子が皆さんの手元に届く頃には飾られているはずです。
記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)
(2000年11月号)