第237回 菊名にまつわる3つの質問
- 2024.04.01
本稿を参照・引用される場合は、港北区区民活動支援センター情報誌『楽遊学』第310号(令和6年4月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
先日、菊名について次の3つのご質問をいただきました。
【質問①】
菊名は、江戸時代以前は小田原北条氏が治めていたようですが、江戸時代の領主や名主は誰か。
【質問②】
菊名は綱島のように江戸時代も交通の要所のような栄えかたをしていたのか、それとも東横線開通までは田んぼだけだったのか。
【質問③】
菊名には綱島の桃のような特産品はあったのか。
今回は駒林神社の石垣の話の続きを書く予定でしたが、先にこちらの質問への回答を原稿にしたいと思います。
さて、回答にあたっては最初の範囲設定が重要です。今の感覚で菊名を考えると、菊名駅周辺を思い浮かべますが、そうなると町名としては菊名の他に大豆戸や篠原なども入るでしょう。連合町内会の菊名地区となれば、範囲はさらに広がります。悩ましいですが、近代以前の菊名村は現在の行政区画の港北区菊名とほぼ一致しますので、今回は菊名村を対象範囲として回答していきしょう。
まずは質問①、領主と名主についてです。江戸時代後期に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』には、菊名村の領主について、「正保(1644~1648年)の頃は伊奈半十郎支配し、元禄八年(1695年)安藤対馬守検地せし事あり、その後宝永三年(1706年)、久志本左京に賜りしより今も其子孫の知る所なり」と書かれています。
伊奈半十郎は伊奈忠治を指します。忠治の父の忠次は、徳川家康に仕えて関東郡代として関東の幕府直轄領の支配を担い、利根川・荒川の治水事業や新田開発などで功績を残しました。父の跡を継いだ忠治もその事業を継承発展させています。元禄8年に検知を行った安藤対馬守(安藤重勝)は領主ではないので、ここでは割愛します。
次に名前が登場するのが久志本左京です。これは久志本常勝のことで、江戸時代の菊名は久志本氏の領地の期間が長かったようです。久志本家は古来より伊勢外宮の神職と医官を兼ねた家柄で、一族の中には織田信長や徳川家康の侍医を務め、その功から旗本となった家もありました。『横浜市史稿 政治編1』の久志本氏の項には、「宝永三年、将軍綱吉の不予(病気)に際し、薬を調進したので平癒の後、十一月七日、武州橘樹・都筑二郡で八百石を加へられ(後略)」とあります。武州橘樹・都筑二郡の八百石にあたるのが駒岡・獅子ヶ谷・菊名村と都筑郡の鴨居村の4村でした。鶴見区駒岡の常倫寺には、久志本家歴代の墓所があります。なお、インターネット上では今も久志本姓の医師の情報が多数見つかります。医官の系譜は脈々と続いているようです。
菊名村の名主については、『大綱時報』第21号(大正12年6月20日)「幕末談」に「久志本左京知行所 菊名村 百姓代 五郎兵衛 年寄 四郎兵衛 名主 平兵衛」と記載があります。また、小田原北条氏に関わる家柄とされる菊名の青木家や金子家は、主家滅亡後に当地へ居住し、村の要職を務めたと伝えられています。
続いては、質問②の江戸時代の菊名は栄えていたのかですが、菊名は大正15年(1926年)に東横線が開業したことをきっかけに発展が始まったと思われます。菊名は明治41年(1908年)の横浜線開業時には駅がなく、東横線開業に際して横浜線との交点に駅が造られます。そして駅周辺には分譲地が造成されて宅地化が進んでいきました。
鉄道などの陸上交通が発達する前は、舟で人や物を運ぶ舟運が行われ、鶴見川にも舟運がありました。荷物の積み下ろしをする河岸は街道の近くに置かれ、港北区内の鶴見川沿いには綱島河岸・太尾河岸・小机河岸、支流の矢上川に袋河岸と4つの河岸があり、周辺には商店が並んで賑わったようです。
菊名には綱島街道が通っていましたが、鶴見川からは少し離れていますし、周囲が丘で平地が少ない菊名は開発がしづらかったのかも知れません。
そして質問③、菊名の特産物については、大正2年(1913年)に編纂された『大綱村郷土史』によると、篠原・菊名・白幡は都会に近く、且つ地質の関係から近来蔬菜(野菜)の栽培研究に力を入れており、近年その産額が著しく増加している旨が書かれています。そして、「大正元年12月調大綱村主要産物一覧表」を見ると、大根・甘藷(さつまいも)・馬鈴薯(じゃがいも)・牛蒡・胡蘿蔔(にんじん)・草苺・氷について、菊名が主要産地の1つとなっていますが、これらは菊名以外の他の地域でも生産されています。この表で特定の地域だけの産物となっているのは、綱島の桃と大豆戸の醤油(シリーズわがまち港北 第129回参照)のみで、菊名は周辺地域とともに、さまざまな農作物を生産・出荷していたものと思われます。
記:林 宏美 (公益財団法人大倉精神文化研究所図書館運営部長兼研究員)
(2024年4月号)