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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第48回 港北の七福神たち -その2-

2002.12.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


二、金蔵寺(こんぞうじ、日吉本町) 天台宗、貞観年間(じょうがんねんかん、859~877年)天台宗第5代座主(ざす)智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)の開基(かいき)と伝え、本尊も円珍作と伝える立像不動尊(りつぞうふどうそん)です。第36回で紹介した横綱武蔵山(むさしやま)の菩提寺(ぼだいじ)です。ここは寿老人(じゅろうじん)が祀(まつ)られています。寿老人は、中国の神様で、長寿を授けるといわれています。杖(つえ)を持ち、玄鹿(げんろく)というシカを連れています。

三、東照寺(とうしょうじ、綱島西) 曹洞宗、慶安(けいあん)2年(1649)大曽根村大乗寺(だいじょうじ)第三世生外東鐵(とうてつ)の創建になり、本尊は薬師如来座像(やくしにょらいざぞう)です。座禅会で有名です。ここは布袋様(ほていさま)を祀っています。布袋は、中国に実在した禅僧契此(かいし、?~916年?)を神格化したものといわれます。大きな袋を持ち、人々に福徳円満の功徳(くどく)を施す神で、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身(けしん)ともされます。

四、西方寺(さいほうじ、新羽町) 建久6年(1195)醍醐覚洞院座主勝賢僧正が鎌倉に開いた寺で、明応(めいおう)四年(1495)に現在地に移ってきました。本尊は阿弥陀如来座像(あみだにょらいざぞう)です。国や県の重要文化財、市の指定文化財などを多数所蔵しています。ここは恵比寿様(えびすさま)を祀っています。恵比寿は唯一日本の神様で、烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)を着て、手には釣り竿と鯛(たい)を持っています。大漁や商売繁盛の神様です。

五、蓮勝寺(れんしょうじ、菊名) 浄土宗、正和4年(1315)に浄土宗第五祖蓮勝上人が菊名山上に草庵(そうあん)を営んだのが起源とされています。天文年間(てんぶんねんかん、1532~55)に現在地に移りました。本尊は阿弥陀如来像(あみだにょらいざぞう)です。ここは毘沙門天(びしゃもんてん)を祀っています。毘沙門天はインドの軍神で甲冑(かっちゅう)をつけ怒りの形相(ぎょうそう)をしています。正義の味方、知恵と勇気、学業成就(じょうじゅ)の守り神です。蓮勝寺の像は左手に鉾(ほこ)を持っていることから「左利きの毘沙門天」と呼ばれています。

六、正覚院(しょうかくいん、大豆戸町) 曹洞宗、東林寺末で、天正(てんしょう)元年(1573)の創建といわれます。ここには左右対称の二体の大黒天(だいこくてん)を祀っています。大黒天はインドの神様で、元はシヴァ神の化身として破壊や戦闘の神でしたが、日本では頭巾(ずきん)をかぶり右手に小槌(こづち)、左手に大きな袋を持ち米俵の上に乗った豊作の神となっています。「だいこく」は「大国」とも書けるので、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と混同されたりもします。このいい加減さが庶民信仰の良さでしょう。

七、菊名池公園内(菊名町) ここだけは寺ではありません。菊名池は湧水池(ゆうすいち)で、平安時代より灌漑用水(かんがいようすい)として大切にされてきました。池には龍神が住むという伝説があります。前回紹介した山本さんの夢枕に弁財天(べんざいてん)が立ったことから、池のほとりにお祀りすることになりました。社殿はなんと祭の山車(だし)を転用したものです。弁財天はインドの女神で水神ですが、豊穣(ほうじょう)や蓄財、音楽の神様となっています。普通の弁財天は琵琶(びわ)を持って座っていますが、ここは右手に降魔(ごうま)の剣、左手に招福(しょうふく)の玉を持つ立像です。

七福神の乗った宝船は、年賀状を始めとしてお正月のめでたい図柄として定着していますが、この絵は江戸時代中期から流行したもので、幕末になると枕の下に敷いて寝るという風習も始まりました。皆さんも、正月2日の夜はこれでよい初夢をご覧になって、初詣に七福神巡りをしてみませんか。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)

(2002年12月号)

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