第16回 師岡に勅使が来た?─むかし話、その4─
- 2017.07.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
むか~し昔、平安時代のお話です。師岡熊野神社に、京都の朝廷から光孝天皇の勅使が遣わされたとの社伝があります。勅使のおもてなしには、周辺の村々が協力し、それが村名になったのだそうです。御神酒を奉納した村が樽村となり、豆腐の担当が大豆戸村に、獅子舞の担当が獅子ヶ谷村に、神馬の担当が駒岡村と呼ばれるようになったとの言い伝えがあります。
さて、勅使一行は、神奈川から子安の浜を通って北上し、熊野神社を目指しました。その途中、長い旅路で汚れた足を洗ったのが「足洗川」、顔を洗ったのが「面滝」、旅の装束から大口袴に着替えたところが「大口」と呼ばれて地名になったとの伝説もあります。
また、勅使一行が熊野神社へ参拝する直前に儀式を行った場所は「式坂」と呼ばれました。
これらの地名には、別の説もあります。たとえば、足洗川の由来は、神奈川区へ行くと浦島太郎が足を洗ったと伝えられています。神奈川区には、浦島太郎にまつわる伝説や史蹟がこの他にもたくさんあります。興味のある方は調べてみると楽しいですよ。(S.H)
(2017年7月号)