第19回 帆船日本丸と大倉山─祝、重文指定─
- 2017.10.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
平成29年(2017年)9月15日、みなとみらい地区で展示・公開されている帆船日本丸が、航海日誌などの文書・記録類181点と図面類351点とともに、国の重要文化財に指定されました。
帆船日本丸は、商船学校の船員養成のための練習船として昭和5年(1930年)に建造され、昭和59年(1984年)にその任務を終えるまで、外洋訓練で多くの船員を養成しました。しかし太平洋戦争開戦前から昭和18年(1946年)2月に内海に回港するまで、東京湾内に留まることを余儀なくされた時期もあります。
ちょうどその間のことです。日本丸での訓練航海が出来なくなった東京高等商船学校の生徒と職員は陸に上がり、昭和17年(1942年)に3回、なんと大倉精神文化研究所の修養会に参加しています。引率者の手記によると生徒たちは、「沈黙の生活に価値があった」「自分をみつめることが出来た」とその体験を肯定的に受け止める生徒の一方で、「感銘よりも滑稽じみた感じがした」という生徒も少なくなかったといいます。山の上で過ごす海の男たちの胸にはさまざまな思いが去来していたことでしょう。日本丸の長い歴史に秘められた1コマです。(H.H)
(2017年10月号)