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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第23回 梅林と観梅会の始まり─大倉山はじめて物語、その5─

2018.02.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 第2回で、大倉山の梅林は東急電鉄が1931年(昭和6年)に開園したと書きました。多くの本にそのように書かれていますし、筆者もかつて東急の広報へ問い合わせて確認しました。しかし、1931年の何月に開園したのか、この年に最初の観梅が出来たのか気になって調べましたら、『東京横浜電鉄沿革史』(1943年刊)や『東京急行電鉄50年史』(1973年刊)では、1932年1月開園と書かれていました。梅の開花は2月から3月ですので、最初の観梅も1932年(昭和7年)だったのでしょう。
 東急電鉄は、戦前、梅の季節に電車往復の観梅割引券を発売していました。戦後は、2月下旬から3月上旬まで約2週間「梅まつり」を開催し、その中の1日は大撮影会を催し、ファッションモデルや、系列会社の東映からスター女優を呼びました。東急電鉄のPR誌『東急グラフ』1956年2月号の表紙には、東(あずま)京子や春日とも子を大倉山の梅林で写した写真が使われています。
 50年前、1968年の撮影会は来園者25,000人、その内8,000人がアマチュアカメラマンでした。
 しかし、1978年頃に梅まつりは途絶え、やがて梅林も横浜市へ売却されました。現在の大倉山観梅会は、1989年に始まり今年で30回目になります。(S.H) 

(2018年2月号)

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