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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第24回 2つの菊名駅─大倉山はじめて物語、その6─

2018.03.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 ご要望にお応えして、菊名のお話です。昨年(2017)12月17日よりJR菊名駅の新駅舎の供用が始まり、東急菊名駅との乗り換えが変わりました。
 JR横浜線は1908年に開業しましたが、当初菊名に駅はなく列車は通過していました。そこへ東横線敷設の計画が持ち上がり、横浜線の下に線路を通すことになりました。1926年2月14日に東急の菊名駅が開業し、その半年後の9月1日横浜線にも菊名駅が出来ました。
 東急菊名駅は、周囲を丘に囲まれた谷間地形の場所へ、さらに地面を掘って造りましたから、大雨が降るとよく線路が冠水しました。東横線と横浜線、両方の線路をかさ上げして、水没しなくなったのはなんと1972年のことです。
 2つの菊名駅ですが、駅の管理は開業以来すべて東急が担当していました。横浜線の駅の管理がJRに引き継がれたのは1994年のことです。この時、連絡通路に初めて乗り換え改札口が作られました。それまではフリーパスでした! 今回、その連絡通路も無くなり、一旦改札口を出てから乗り換えるようになりました。工事完了まであと少しです。(S.H) 

(2018年3月号)

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