第33回 世が世なら大曽根温泉駅?
- 2018.12.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
前回の続きです。むかし、樽町に温泉がありました。では、樽町に温泉があるのに、東急電鉄はなぜ綱島に温泉浴場と温泉駅を造ったのでしょうか?
かつて大倉山や大曽根の古老の方に伺った話によると、東急電鉄は大曽根に駅を造ろうとしていたようです。大正時代、樽の温泉街は大曽根との地区境にありました。そこで、東急電鉄は線路を大曽根側に敷いて駅を造り、駅東口の前に温泉街が広がる街作りを計画したと思われます。筆者の想像です。
しかし、地元の運送業者等が駅建設に反対したと伺いました。そのため、東急は計画を断念して、鶴見川の対岸に位置する綱島に綱島温泉駅を造り、温泉開発をしたと考えられます。
もし大曽根に駅が出来ていたら、名前は大曽根温泉駅となっていたのでしょうね。そうすると、樽や大曽根は温泉街・歓楽街として開発され、綱島は静かな農村地帯のままだったかも知れません。
大曽根に駅があれば、その南隣の駅は菊名駅になり、大倉山の駅は造られなかったことでしょう。そうすると、大倉精神文化研究所も造られず、エルム通りも出来なかったはずですね。(S.H)
(2018年12月号)