第34回 温泉の記念碑
- 2019.01.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
第32回で、昭和8年樽町に「ラヂウム霊泉湧出記念碑」が設置されたと書きました。その記念碑が昨年(2018)12月に処分されることになり、それに気付いた地域の方々が奔走して、現在は別の場所に仮設し、新しい設置場所を探しています。早期に解決することを願っています。
この記念碑は、表の碑文を横浜市長大西一郎が書いています。裏面にはたくさんの名前が刻まれていて、当時の様子がよく分かります。湧き出した赤黒い地下水は、大正3年8月に東京衛生試験所が検査して、温泉(冷鉱泉)であることが分りました。樽町では、小島孝次郎が大正6年から温泉旅館永命館を始めます。福澤徳太郎は、温泉水を船に積んで鶴見川を下り、鶴見区で大綱温泉という銭湯を始めました。石碑を建てた加藤順三は杵屋という菓子店でラヂウムまんじゅうを売り出します。
昭和8年は菖蒲園(第31回参照)が開園した年でもありました。温泉発祥地として賑やかだった樽町の温泉街が、しだいに綱島駅周辺の温泉街に水をあけられていき、それを挽回しようとしたのでしょうか? 想像がふくらみます。(S.H)
(2019年1月号)