第46回 天然スケート場と悦ちゃん
- 2020.02.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
昔、大曽根台に「大倉山天然スケート場」がありました。1928年に冨川善三氏が氷場跡地を改装して開業し、1948年頃まで営業していました。
港北区内にあったスケート場はこの一ヵ所だけかと思っていたところ、神奈川区子安町の金子政次郎が、1935年に「富士塚天然スケートリンク」を開設したという『横浜貿易新報』の記事を見つけました。場所は妙蓮寺駅から約3丁(約330m)、滑走料金は1時間25銭ですが、記事の切り抜きを持参すると半額で滑れました。
翌1936年の新聞記事では、スケート女王悦ちゃんの人気にかられて「ハマの悦ちゃん」が滑走を楽しんでいると書かれています(『わがまち港北3』275頁写真参照)。何年まで営業していたのかは不明です。
スケート女王悦ちゃんとは、日本女子フィギュアスケートの先駆者稲田悦子選手のことです。稲田選手は、1936年にドイツで開催された冬季オリンピックにわずか12歳で出場し、1940年の札幌オリンピック(中止)の有力候補として期待されました。
港北ふるさとテレビ局制作の映像作品「続・綱島温泉物語~石碑が教えてくれたこと~」の撮影で、冨川善三氏の孫の薫さんに取材をしたとき、大倉山天然スケート場に稲田悦子選手が滑りに来たことがあると伺いました。かつての浅田真央さんのような人気者で、当時のスケートブームを作った方だったそうです。
近年では、新横浜スケートセンターが1990年に開業し、トリノオリンピック金メダリストの荒川静香さんを初めとして数多くの選手が汗を流していました。ここは、木村拓哉さん主演で2004年に放送されたテレビドラマ「プライド」のロケ地にもなりました。(S.H)
(2020年2月号)