第7回 大倉山から人間国宝が
- 2016.10.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
前回、人間国宝芹沢銈介について触れましたが、人間国宝といえば、大倉山には漆芸家(しつげいか)の赤地友哉(あかじゆうさい)が住んでいました。
赤地友哉は、1906年に金沢市の檜物師(ひものし・塗り物の素地を作る)の家に生まれ、塗師屋(ぬしや)へ弟子入りして、漆塗りの基本的技術である髹漆(きゅうしつ)の第一人者となりました。1963年から大倉山七丁目(当時は太尾町)に移り住み、1974年にはこの分野で最初の人間国宝(重要無形文化財保持者)に指定されました。大倉山に住んでいる間に、芸術選奨文部大臣賞、神奈川文化賞、横浜文化賞なども受賞しています。横浜の地で活躍するかたわら、年に数度は輪島の研修所に通い後継者の育成にも尽力しましたが、大倉山を永住の地として、1984年に逝去されました。
塗師(ぬし)、横浜、輪島、なんだか昨年(2015)の朝ドラ「まれ」を思い出しました。
11月1日から6日まで、大倉山記念館で第32回大倉山秋の芸術祭が開催されます。芸術の秋も本番です。(S.H)
(2016年10月号)