第78回 大豆戸町の羽黒社と石神社
- 2023.03.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和5年3月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
2021年11月、小机本法寺の奉納杓子が横浜市の有形民俗文化財に指定されました。杓子(しゃくし)と杓文字(しゃもじ)は同じですのでおしゃもじ様と呼ばれて、今注目されています。本欄でも、前回の記事と八杉神社の境内社の写真で紹介しました。その続きです。
大豆戸町八杉神社拝殿の右側には、「羽黒大明神」と刻まれた神額の付いた石の鳥居が建てられています。そこをくぐると境内社の祠があってしゃもじが打ち付けられていますので、一見すると羽黒社に奉納されたしゃもじのように見えます。そのためでしょうか、最近どうも勘違いが広まっているらしく、羽黒社のおしゃもじ様と書かれたネットの記事を散見します。これは誤りです。
昭和5年刊行の『横浜の伝説と口碑』は、現在地に移設される前に独立していた羽黒社の小さな祠の写真を掲げて、付近ではとても信仰を集めていて、虫歯に悩む人がこの祠に祈ると即座に利益があり、ここには歯を病む人がいないという話を記しています。お参りの方法は、萩の枝の箸か竹の楊子を祠にお供えして祈り、その後これを自宅へ借りて帰り、食事や歯磨きなどに使えば決して虫歯にならないというものです。本来の羽黒社信仰ではなくて、「はぐろ」の「は」は人の歯に通じるという俗信です。羽黒社にしゃもじは関係ありませんでした。
では、しゃもじはなぜ祠に納められているのでしょうか?
実は境内社の祠の中には、①羽黒社に加えて、②三島神社、③石神社、④神明社の計4社が祀られています。これらのお社は、昔は大豆戸の各所にあったもので、①羽黒社は字羽黒、②三島神社は字八反野、③石神社は字塚田、④神明社は字安山に祠がありました(地図参照)。前述した羽黒社の鳥居は、安政6年(1859)8月建立です。現在地に4社が合祀されたのは戦後のことと思われますが、その時に、羽黒社の鳥居だけが祠の前に移築されたのでしょう。誤解はそこから始まったようです。
本題に戻って、咳としゃもじの関係ですが、咳 ⇒ せき ⇒ 石となり、語呂合わせで咳の神様は石神様となります。一方で、ご飯をよそうしゃもじは口を守る神様として神格化されていき、しゃもじが咳や喉の病気、風邪などから守ってくれると信じられるようになります。前述したように、「しゃもじ」と「しゃくし」は同じものです。東京に有名な石神井公園がありますが、石神を「しゃくじ」と読んでいます。「しゃくじ」と「しゃくし」の音が似ていることから、石神 ⇒ しゃくじ ⇒ しゃくし ⇒ しゃもじとなったのでしょう。
こうして、石神社が咳の神様となり、そこにしゃもじを奉納するようになったものと思われます。これも俗信であって、本来のご祭神とは関係ありません。
昭和7年刊行の『横浜市史稿 神社・教会編』は、石神社について「せきを患う者が祈願すれば利益がある」という説明書きをしています。石神社は各地で祀られていて、様々な読み方をされています。大豆戸の石神社を正しくはなんと読むのか筆者には分かりませんが、石神社が咳を鎮める神様で、ここへしゃもじが奉納されていたのです。(S.H)
「港北歴史地名ガイドマップ」の大豆戸町部分に加筆
(2023年3月号)