第80回 郷土料理を探そう―その2―
- 2023.05.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和5年5月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
前回の続きです。郷土料理について、まず地域の特産品(食材)や調理法から考えて見ましょう。
港北地域の特産品としては、かつてはソウメンや桃などが有名でしたが、いずれも現在では生産されていません。どちらも全国で食べられていますが、港北だけの独自性のある調理法は見つけられませんでした。
ソウメンの原料となる小麦は沢山生産されていましたが、ソウメン作りをしていたのは特定の農家のみでした。それに対して、小麦から作るうどんは製法が簡単なので、どの家庭でも自家用として作っていました。しかし、うどんの珍しい調理方法は見つかりませんでした。
次に地域の歴史や文化から見ると、古くから伝わる四季折々の民俗行事や人生儀礼の時に作られる料理が気になるのですが、『港北百話』や『都筑の民俗』を見ても、あまり特徴的な料理は見当たりません。
戦後になると、横浜に進駐軍が来たことから、ホテルニューグランドでスパゲッティナポリタンやシーフードドリア、プリンアラモードが誕生しました。しかし、郷土料理の枠を超えて全国に広まり、特にナポリタンは今や日本の食文化ですよね。筆者は昨日も食べました。
では、なぜこの辺りには郷土料理が無いのでしょうか?
筆者が思うに、珍しい郷土料理がある地域は、大名などの領主が特定の食材や料理を領民に奨励した地域であるとか、人や文化の交流が少なくて地域独自の文化が作られて残りやすい土地柄だったとかではないでしょうか。一方、港北の地は江戸(東京)郊外で東海道にも近く、小さな旗本領が多い場所です。そのため、江戸から様々な文化が入ってきたので、地域限定の珍しい伝統行事が少なく、その時に食べる珍しい料理も無いようです。
幕末からは開港場横浜の郊外ともなって、外国野菜の生産が始まりますが、出荷はしても家庭料理としては広まりませんでした。
昭和になると新幹線や高速道路も開通します。昔から人の移動や文化の交流が多くて、もし郷土料理があったのだとしても、地域独自の文化を保ち続けることが難しかったのでしょう。
しかし、横浜は市域が広くて各区により地域性があるので、港周辺と内陸の港北区あたりでは郷土料理も違いがあるかも知れません。
本来の郷土料理が江戸時代にまで遡るものとすれば、お店料理(外食料理)よりも家庭料理が中心となるのでしょう。それぞれの家庭にはお袋の味がありますが、それが地域に広がりを持ち多くの家庭に共通する伝統的お袋の味になったとき、それを郷土料理と呼んだのではないでしょうか?
どうも歴史家が郷土料理を論じると、理屈っぽくて美味しい味わいが無いですね。
余談ですが、和菓子も郷土料理に入るのでしょうか。
3月18日に東急新横浜線の新綱島駅が開業しました。3年前の2020年にこの新駅の駅名を募集していましたが、その頃放送していたテレビドラマ「私の家政夫ナギサさん」第6話で、ナギサさんが買い物をする綱島中央商店街のスーパーに、「幻の綱島中央温泉の温泉まんじゅう」が限定販売されていました。綱島温泉華やかりし頃の、杵屋のラヂウムまんじゅうのパロディでしょうか、食べてみたいですね。(S.H)
ホテルニューグランドの昭和8年年賀状より(大倉精神文化研究所蔵)
(2023年5月号)