第94回 大山信仰と雨乞い―その2―
- 2024.08.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和6年8月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
前回の続きです。大山は、関東平野の西にある丹沢山系の東端に位置し、関東のどこからでもよく見えます。天気は西から変わりますので、昔から「大山(の頂上)に雲がかかると雨が降る」と言い伝えられてきました。大山は別名を雨降り山といい、大山祇神(おおやまつみのかみ)は雨乞いの神さまとして関東の人々から信仰を集めていました。港北区域の人々にとっても、大山は特別な場所でした。
港北区域は、鶴見川の流域内(降った雨が鶴見川に集まる範囲)に位置しています。鶴見川は暴れ川と呼ばれ、大雨が降れば氾濫して水害となりました。その一方で、河口から港北区域までは川の水に海水が混じる汽水域なので、鶴見川から用水が取れません。そのため、山からの湧き水(絞り水という)や溜め池に頼る農業生活でしたから、日照りが続くと干害を受けました。水害と干害の両方を受けることから、天気にはとても敏感でした。観天望気。かつて農業中心の生活をしていた頃、人々はいつも大山を観察し、空を仰いで天気の変化を気にした生活をしていました。
大山は雨降り山と呼ばれていましたので、日照りが続くと、大山講では雨乞いをするために、大山へ臨時の参詣をしました。前回紹介した通常の参詣とは違って、雨乞いの参詣は自分たちの生活がかかっているので物見遊山ではありません。筆者はその実態を知りたいと思い続けて25年、やっと念願が叶い、梅雨や台風シーズンを前にして、5月に大山へ登ってきました。
大山阿夫利神社には、下社拝殿の右側、授与所との間に地下入口があり、そこを入ると神泉が湧き出ている場所があります(下の写真参照)。代参者は、そこの水を汲んで持ち帰りました。「持ち帰る途中で休むと、休んだところで雨が降る」と言って、帰路は一切寄り道すること無く、急いで村に帰りました。
『港北百話』には、各地で行われた雨乞い神事の様子が記されています。たとえば、樽では本長寺の境内に八大龍王の石塔を建てて雲を呼ぶ龍神を祭り、その側でお題目を大声で唱えながら、持ち帰った神水を振り撒いて雨乞いをしました。
日吉では、田に神水を撒いて降雨を祈りました。
城郷では、まず小机の住吉神社でお祓いをして、次に鶴見川の川向橋の所で、先達を中心に大勢の人々が川に入ってお経を唱え、その人々の上から神水を掛けて降雨を祈りました。
『都筑の民俗』を見ると、都筑区の池辺や大棚、東山田などでも鶴見川や早渕川を使って雨乞い神事をしていました。
戦後の高度経済成長期になると、港北区域の田畑は工場や宅地に変わり、農家は少なくなりました。それに伴い、農耕生活に根ざした大山講も衰退していきました。
また、鶴見川の総合治水対策や上下水道の整備などにより、大雨が降っても洪水に対する安全性は高まり、晴天が続いても干害を受けることは少なくなりました。私たちの生活は天気に左右されにくくなり、大山に注目することもなくなりましたが、富士山と共に仰ぎ見る大山の雄姿は昔も今も変わりません。(SH)
2024年5月11日、内山岳彦氏撮影