若き日のアンパンマン
- 2023.10.21
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
私、仕事柄横浜市港北区関係のことを調べていますが、先日、ある方から、アンパンマンの作者やなせたかし(柳瀬嵩、1919~2013年)が昔大倉山に住んでいたらしいとの話を聞きました。興味津々で、早速調べてみました。
やなせたかしは、『アンパンマンの遺書』(岩波書店、1995年)と『人生なんて夢だけど』(フレーベル館、2005年)という2冊の自伝を書いています。
『アンパンマンの遺書』によると、郷里の高知で知り合った奥さんが先に上京して、大倉山の駅前の建築屋さん宅に下宿し、半年後にそこへ転がり込んだことが書かれています。昭和21年(1946)、やなせたかし27歳のことです。
『人生なんて夢だけど』には、もう少し詳しく書かれていました。「東横線の大倉山の駅まで徒歩1分という新築の、当時としては立派な庭つき風呂つきの平屋建て。4部屋あるうちの子ども部屋に住むことになりました」とあります。
大倉山駅から徒歩1分の建築屋さん。ツテを辿っていろいろと調べてみました。どうやら、小島さん宅のようです。現在は転居されていますが、『港北区明細地図』などを見ると、駅の東側に家が記されています。
家主(小島さんらしい)は、奥さんの友達のご主人で、家賃は無料、その代わりにやなせさんと奥さんは、3歳の子供の面倒を見ながら暮らしたそうです。子供に絵を描いたり、物語を聞かせたりしていたのでしょうか。
記:平井誠二
初出:『ほんの虫』第5号(港北図書館友の会、2014年10月)
再録:『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)